スペースオペラ
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この流れでの大きな出来事としては、M・ジョン・ハリスンの The Centauri Device (1975) の出版、デイヴィッド・プリングル(英語版)とコリン・グリーンランドが編集したインターゾーン(英語版)誌1984年夏号[10]、スペースオペラの伝統を受け継いでいる[1]スター・ウォーズ・シリーズの成功などがある。この「ニュー・スペースオペラ」はサイバーパンクと同時期に発生し、その影響も受けているため、従来のスペースオペラよりも暗く、「人類の大勝利」という雛形にははまっていないし、新たな科学技術を取り入れ、従来のスペースオペラよりも人物造形に力を入れている。スペースオペラからスケールの大きさを受け継いでいるが、科学的にはより厳密である。

ニュー・スペースオペラは古いスペースオペラへの反発でもある。ニュー・スペースオペラを擁護する者は、人物造形、文学的水準の高さ、真実性、同時代の社会問題の倫理的探究などがテーマだと主張する。マコーリイと Levy[11] は、イアン・バンクススティーヴン・バクスターM・ジョン・ハリスンアレステア・レナルズポール・J・マコーリイ[10]ケン・マクラウドピーター・F・ハミルトンジャスティナ・ロブスンを主なニュー・スペースオペラ作家だとしている。
日本でのスペースオペラ.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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出典検索?: "スペースオペラ" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2022年1月)

古くは海野十三星新一などに宇宙戦争ものの試みが見られる。日本にスペースオペラを受容させる土壌を作り上げた最大の功労者は、戦後のSF開拓期からSF作家・翻訳家として活動し海外SFコレクターでもあった野田昌宏である。『SF英雄群像』などで紹介された海外スペースオペラ作品が、日本のSFファンの間で受け入れられる作品と重なるほどの影響力を持った。野田が直接スペースオペラを語った本として『愛しのワンダーランド スペース・オペラの読み方』『スペース・オペラの書き方 宇宙SF冒険大活劇への試み』がある。

一方で、『銀河乞食軍団』に代表される、「野田節」とも言われる野田自身の作品の独特の世界は、後の多様化の第一歩だったとも言える。

日本では、スペースオペラはすぐに多様化した(日本ではアメリカとは異なり、本格SFとスペースオペラが、そしてSF全般と漫画や特撮番組が峻別されたり定義争いが生じることはほとんどなかった)。まず、ビジュアル作品による人気の主導があげられる。順番に挙げると(これ以前の特撮作品にも宇宙は出てくるが)『スタートレック』の第1作が『宇宙大作戦』として日本でも放映され(1970年前後)、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)はブームとなった。続いて1977年に『スター・ウォーズ』、1979年の『機動戦士ガンダム』と続く。漫画では『宇宙海賊キャプテンハーロック』『銀河鉄道999』『クイーン・エメラルダス』といった松本零士の諸作品がある。

小説に話を戻すと、その第1作は『スター・ウォーズ』に発奮し一気に書き上げられた、という高千穂遙の『クラッシャージョウ』が1977年、ソノラマ文庫に登場した。イラストが(『ガンダム』にも関与した)安彦良和ということで話題になるなど、レーベルのその後と共に後のライトノベルに至る過程の通過点となった。同じ作者で1979年に始まる『ダーティペア』はアニメ作品が世界的に人気となり、アメコミ版まで存在する。高千穂のこれらのシリーズは、後のライトノベルで多用される完全一人称視点など、新しい試みもあったが、スペースオペラとしては後の多くの作品が「拡散」していったのに対し、ある意味ストレートな作品である。

1980年代に入って、田中芳樹は『銀河英雄伝説』(1982年 - )を、スペースオペラ的な艦隊戦も交えながらも、宇宙や銀河系架空の星系という舞台設定を背景とした政治・戦略・権謀術数や人間関係・権力の変遷などに重きを置いた重厚なSF史劇として書き上げた。これもアニメ化が「銀河声優伝説」という語を残すなど映像と縁が深い。


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