スペースオペラ
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

それらを後にプロト・スペースオペラと称するようになった[4]。あまり知られていないが、最初期のプロト・スペースオペラは19世紀中ごろの何人かのフランス人作家が書いている。例えば、C・I・ドフォントネー の『カシオペアのψ』(1854) やカミーユ・フラマリオンの Lumen (1872) がある。人気を呼んだとはいえないが、ヴィクトリア朝末からエドワード朝にかけてもプロト・スペースオペラが時折書かれている。例えばパーシー・グレッグ(英語版)、ギャレット・P・サービスジョージ・グリフィス、ロバート・クロミーの作品がある[5]。ある評論家はロバート・ウィリアム・コール(英語版)の The Struggle for Empire: A Story of the Year 2236 (1900) を最初のスペースオペラだとしている[6]。この小説は太陽系の地球人とシリウス星系を本星とする凶暴なヒューマノイド型異星人との戦いを描いている。ただし、この小説は1880年から1914年にかけて人気となった国粋主義的フィクションのジャンル(未来戦争フィクション)から生まれたもので[7]、世界初のスペースオペラと呼ぶことについては異論を唱える者も多い。

このような初期の例はあるが、スペースオペラが『アメージング・ストーリーズ』誌などのパルプ・マガジンに定期的に掲載されるようになるのは1920年代末のことである[1][4]。世界初のスペースオペラ映画は、デンマークの Himmelskibet (1918) である[8]。初期の宇宙冒険活劇は異星人による地球侵略や天才発明家による宇宙船の発明といった話が多いが、純粋なスペースオペラでは宇宙旅行が当然なこととして描かれ(そのため、遠い未来の話という設定である)、準備などを省略し、まっすぐに宇宙空間に行って大暴れする。その種の初期の小説としては、J. Schlossel の Invaders from Outside(ウィアード・テイルズ1925年1月号)[9]レイ・カミングスの Tarrano the Conqueror (1925)、エドモンド・ハミルトンの Across Space (1926) と「衝突する太陽」(ウィアード・テイルズ1928年8/9月号)、J. Schlossel の The Second Swarm(アメージング・ストーリーズ1928年秋号)と The Star Stealers(ウィアード・テイルズ1929年2月号)などがある[4]。他の作家が1929年から1930年にかけて類似の小説を書いている。

しばしば真の「スペースオペラの父」とされる作家はE・E・スミスである。処女作『宇宙のスカイラーク』(『アメージング・ストーリーズ』1928年8-10月号)は、最初の偉大なスペースオペラといわれることが多い[4]。星間航法を発明した科学者の物語と、エドガー・ライス・バローズ風の惑星冒険ものあるいはサイエンス・ファンタジーとをまとめたような話である[1]。スミスの後の『レンズマン』シリーズ、エドモンド・ハミルトンの『キャプテン・フューチャー』シリーズ、またジョン・W・キャンベルジャック・ウィリアムスンらの1930年代から1940年代にかけての作品は人気を呼び、他の作家もそれらを模倣した。1940年代初めには似たような作品や無節操な作品が氾濫し、一部のファンが本来の軽蔑的な意味の「スペースオペラ」という呼称を生み出すことにつながった。

しかし、スペースオペラの中でも最良とされる例は高く評価されており、サブジャンルとしての再評価と復活につながっていく。ポール・アンダースンゴードン・R・ディクスンといった作家は1950年代を通して壮大なスケールの宇宙冒険活劇を書き続け、1970年代にはM・ジョン・ハリスンC・J・チェリイといった作家が続いた。そのころには「スペースオペラ」という言葉は多くの読者にとって蔑称ではなく、単にSF冒険物語の一種を指す用語となっていた[1]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:62 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef