スリには様々な種類があることが判明しており、広げた新聞・地図などで鞄やポケットを覆って財布などを盗む「目隠しスリ」、ケチャップなどを衣服に付けた上で汚れを指摘し、注意をそらした上で鞄や財布などを盗む「ケチャップスリ」の他に署名活動を装った手口のスリも存在している。
主要な犯罪の一例としては、先述のスリの他にひったくりや車上荒らしや首絞め強盗、タイヤのパンクを指摘し車を停車させ、確認・修理をする隙に油断させておいて、車内の物品や車両の窃盗に走る「パンク窃盗」、偽警官の出没が挙げられる。
この節の加筆が望まれています。
人権詳細は「スペインにおける人権(英語版)」を参照
他人の権利の尊重などの基本的人権で決まる2020年積極的平和指数は1.833で、世界ランキングではアメリカの1.949よりわずかに上だが、日本の1.466よりは下[58]。スペインは、アジア人に対する差別が欧州連合平均より少ない[59]。
この節の加筆が望まれています。
マスコミ詳細は「スペインのメディア(英語版)」を参照
この節の加筆が望まれています。
文化詳細は「スペインの文化(スペイン語版、英語版)」を参照グラナダ市南東の丘に位置するアルハンブラ宮殿バルセロナのサグラダ・ファミリア
情熱的で明るい、気さくなスペイン人という印象が強いが、これはスペイン南部の人々の特徴で北側の人々は違った性格が強い。1991年に創設されたセルバンテス文化センターによって、世界各地にスペイン語やスペイン文化が伝達されている。 スペインの国技であり伝統的スポーツとして闘牛がある。数百年の歴史を持つ闘牛は世界中に知られている。一方で、動物虐待との批判もあり、一部の地域は闘牛を禁止している。政府は2024年、「スペイン人の大多数が動物福祉について懸念を抱いているため、動物虐待の一形態を表彰する賞を維持するのは適切ではない」との考えから、闘牛賞の廃止を決定した[60]。「闘牛#西欧における闘牛」を参照 スペイン料理の特徴として素材を生かした調理があり、地方にはそれぞれの地域の特産品を生かした独特の料理がある[61][62]。イベリア半島は「ヨーロッパの尾」「アフリカの頭」と言われ、古来から異なる民族・文化・宗教が交差しており、スペインの食文化はイベリア半島の歴史的背景の影響を受けている[63]。スペインは地方によって気候や風土、文化、習慣が異なるため、食材やその調理方法は様々で、事実上スペイン料理として一括りにはできない。スペイン料理の地域差を表した言い回しに「スペインのどこに行ってもあるものはワイン、オルチャータ、クァハダ(素焼きの壺に入れられたヨーグルト)だけ」というものがある[64]。「北では煮込み、中部では焼きもの、南部ではフライ」と、地域ごとの調理法の違いを表した言葉もある[65]。全ての地方料理に共通する事項としては、オリーブオイルが使用されることが挙げられる[66]。2010年にはスペイン料理が、イタリア料理、ギリシア料理、モロッコ料理とともに「地中海の食事」としてユネスコの無形文化遺産に登録された。 12世紀中盤から13世紀初頭までに書かれた『わがシッドの歌』はスペイン最古の叙事詩と呼ばれている。 スペイン文学においては、特に著名な作家として世界初の近代小説と呼ばれる『ドン・キホーテ』の著者ミゲル・デ・セルバンテスが挙げられる。 1492年から1681年までのスペイン黄金世紀の間には、スペインの政治を支配した強固にカトリック的なイデオロギーに文学も影響を受けた。この時代には修道士詩人サン・フアン・デ・ラ・クルスの神秘主義や、ホルヘ・デ・モンテマヨール
闘牛
食文化詳細は「スペイン料理」を参照
文学『ドン・キホーテ』の著者ミゲル・デ・セルバンテス詳細は「スペイン文学」を参照
近代に入ると、1898年の米西戦争の敗戦をきっかけに自国の後進性を直視した98年世代と呼ばれる一群の知識人が現れ、哲学者のミゲル・デ・ウナムーノやオルテガ・イ・ガセット、小説家のアンヘル・ガニベー、詩人のフアン・ラモン・ヒメネス(1956年ノーベル文学賞受賞)やアントニオ・マチャードなどが活躍した。
スペイン内戦の時代には内戦中に銃殺された詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカなどが活躍し、内戦後にフランコ独裁体制が成立すると多くの文学者が国外に亡命して創作を続けた。フランコ体制期にはラモン・センデールやカルメン・ラフォレ、フアン・ゴイティソーロ、ミゲル・デリーベスらがスペイン内外で活躍した。
1974年にはスペイン語圏の優れた作家に対して贈られる文学賞としてセルバンテス賞が創設された。民主化以後の1989年にはカミーロ・ホセ・セラがノーベル文学賞を受賞している。
哲学ホセ・オルテガ・イ・ガセット。20世紀の精神に多大な影響を与えた『大衆の反逆』(1929年)で知られる。
古代ローマ時代に活躍したストア派哲学者の小セネカはコルドバ出身だった。中世において、イスラーム勢力支配下のアル=アンダルスでは学芸が栄え、イブン・スィーナー(アウィケンナ)などによるイスラーム哲学が流入し、12世紀のコルドバではアリストテレス派のイブン・ルシュド(アウェロエス)が活躍した。その他にも中世最大のユダヤ哲学者マイモニデスもコルドバの生まれだった。コルドバにもたらされたイブン・スィーナーやイブン・ルシュドのイスラーム哲学思想は、キリスト教徒の留学生によってアラビア語からラテン語に翻訳され、彼等によってもたらされたアリストテレス哲学はスコラ学に大きな影響を与えた。
16世紀にはフランシスコ・デ・ビトリアやドミンゴ・デ・ソトらのカトリック神学者によってサラマンカ学派が形成され、17世紀オランダのフーゴー・グローティウスに先んじて国際法の基礎を築いた。17世紀から18世紀にかけては強固なカトリックイデオロギーの下、フェイホー(スペイン語版、英語版)やホベジャーノス(スペイン語版、英語版)などの例外を除いてスペインの思想界は旧態依然としたスコラ哲学に覆われた。