(アンダルシアの海岸またはタルテッソス王国にフェニキア人が到着した際に、激しい採鉱と冶金活動がされていたことに関係している)
「エスパーニャ」という名称は、長らく同地を指す俗称だった。カスティーリャ王国とアラゴン王国の1492年の統合以降でも国王はあくまで連合王国(「カトリック(またはスペイン)君主制国(モナルキア)」と称されることが多かった)の共通君主に過ぎず、宮廷や議会・政府は各構成国毎に置かれている諸侯連合だった。1624年に宰相オリバーレスは国王に「スペイン国王」となるよう提案したが実現しなかった。1707年発布の新組織王令により複合王政は廃止され、単一の中央集権国となった。しかしこの時もスペインは国号とはならず、1808年にナポレオン・ボナパルトの兄ホセ1世の即位した時に正式にスペイン国王が誕生した(スペインの国旗が登場したのは1785年)。
1978年憲法で、それまで明記されていた国号が定められなかったのは、君主制は維持するものの、その位置付けは象徴的な存在に変わり、国を動かすのは国民によって選ばれた議会が中心になることを明確化するために採られた措置であった。
なお、スペイン外務省は1984年に、「スペイン王国」と「スペイン」を国際条約においては同等と見なすとの法令を出した。現在は国際条約や国際組織の文書、国内の公式文書や外交文書において前者が公式国名として使用される事が多い[5]。
歴史詳細は「スペインの歴史」を参照
スペインの歴史
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先史時代(英語版)
古代
イベリア人
タルテッソス紀元前4世紀
第二次ポエニ戦争219-201 BC
第一次ケルティベリア戦争181-179 BC
ルシタニア戦争155-140 BC
ヌマンティア戦争153-133 BC
ヒスパニア
• ヒスパニア・タラコネンシス
• ヒスパニア・バエティカ
• ルシタニア
中世
スエビ王国409-585
西ゴート王国415-711
アル=アンダルス711-1492
ウマイヤ朝711-750
後ウマイヤ朝756-1031
タイファ諸王国1031-1492
• ムラービト朝1040-1147
• ムワッヒド朝1130-1269
• ナスル朝1232-1492
レコンキスタ718-1492
アストゥリアス王国718-925
レオン王国910-1052
カスティーリャ王国1035-1715
アラゴン連合王国1137-1716
• スペイン辺境領795-987
• カタルーニャ君主国987-1716
• ナバラ王国824-1620
• アラゴン王国1035-1715
近世
カトリック両王1474-1504
黄金世紀1492-1681
アブスブルゴ朝1504-1700
イベリア連合1580-1640
ボルボン朝1700-現在
近代
半島戦争1808-1814
• ホセ1世の治世1808-1813
• 最高中央評議会1808-1810
• カディス・コルテス1810-1814
フェルナンド7世の治世1814-1833
• 絶対主義の六年間1814-1820
• 自由主義の三年間1820-1823
• 忌むべき十年間1823-1833
イサベル2世の治世(英語版)1833-1868
• カルリスタ戦争1833-1876
• 穏健派の十年間(英語版)1844-1854
• 進歩派の二年間(英語版)1854-1856
• 自由主義連合政府(英語版)1856-1863
• 1868年革命(スペイン語版)1868
民主主義の六年間(英語版)1868-1874
• 臨時政府1868-1871
• アマデオ1世の治世(スペイン語版)1871-1873
• 第一共和政1873-1874
王政復古1874-1931