スペイン
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王政復古から現在首都マドリードのクアトロ・トーレス・ビジネス・エリア

1975年11月22日にフランコ将軍が死ぬと、その遺言により フアン・カルロス王子(アルフォンソ13世の孫)が王座に就き、王政復古がなされた。フランコの死により左派の巻き返しが生じ、1976年10月にはマドリード市内で青年らによる暴動が発生。左派の呼びかけにより数万人が参加する規模のゼネラル・ストライキも発生したが、国民の多くには支持されず、暴徒は警官隊に鎮圧された[25]。フアン・カルロス国王は専制支配を継続せず、スペイン1978年憲法の制定により民主化が達成され、スペイン王国は制限君主制国家となった。1981年2月23日には軍政復帰を目論むアントニオ・テヘーロ中佐ら一部軍人によるクーデター未遂事件が発生したものの、毅然とした態度で民主主義を守ると宣言した国王に軍部の大半は忠誠を誓い、この事件は無血で鎮圧された (23-F)。

民主化されたスペインは1982年北大西洋条約機構(NATO)に加入、同年の1982年スペイン議会総選挙により、スペイン社会労働党 (PSOE) からフェリペ・ゴンサレス首相が政権に就き43年ぶりの左派政権が誕生した。1986年にはヨーロッパ共同体(現在の欧州連合)に加入[要出典]。1992年にはバルセロナオリンピックを開催した。一方、国内問題も抱えており、スペインはバスク地域分離運動のETAによるテロ活動に長年悩まされている。1982年に首相に就任したゴンサレスは14年に亘る長期政権を実現していたが、1996年スペイン議会総選挙にて右派国民党 (PP) に敗れ、ホセ・マリア・アスナールが首相に就任した。

21世紀に入ってもスペインは欧州連合の平均を上回る経済成長を続けているが、住宅価格の高騰と貿易赤字が問題となっている[26]

2002年7月18日、ペレヒル島危機(英語版)が起こり、モロッコとの間で緊張が高まったが、アメリカの仲裁で戦争には至らなかった。同年9月、アスナール首相がイラク戦争非常任理事国として支持、2003年3月のイラク戦争開戦後は有志連合の一員として、米英軍と共にイラクスペイン軍1400人を派遣した。2004年3月11日マドリード列車爆破テロ事件が起き、多数の死傷者を出した。選挙を3日後に控えていた右派のアスナール首相はこれを政治利用し、バスク祖国と自由(ETA)の犯行だと発表したが、3月14日に実施された2004年スペイン議会総選挙では左派の社会労働党が勝利し、サパテロ政権が誕生した。サパテロ首相は就任後、2004年5月にイラク戦争に派遣されていたスペイン軍を撤退させた。また、後に2004年の列車爆破事件はアルカーイダの犯行[27]CIAからの発表があると、この対応を巡って政治問題となった。サパテロ政権は2008年スペイン議会総選挙でも勝利したが、同年9月のリーマン・ショック勃発により、スペインの経済(英語版)は壊滅的な打撃を受けた。

2011年スペイン議会総選挙では国民党が勝利し、マリアーノ・ラホイが首相に就任した。

2016年9月、去年と今年の2度の総選挙を行っても政権を樹立出来ないままだったが、第一党の国民党のラホイ首相を首班とする政権樹立を下院で反対多数で否決し、またもや政権樹立に失敗。11月3日になってようやくラホイ再任が決定し新内閣が発足した。

2017年10月27日カタルーニャ州が独立宣言を行う(カタルーニャ共和国)も、スペイン側はカタルーニャの自治権を剥奪し直轄統治を開始[28]2020年には新型コロナウイルスの拡大が深刻となった。

2021年9月から10月にかけて、例年、降水量が少ない南東部、アンダルシア州、バレンシア州などで記録的な集中豪雨が次々に発生。鉄砲水や河川の氾濫などで住宅地が冠水、自動車に取り残された者が死亡するなどの被害が出た[29][30]
地理詳細は「スペインの地理」を参照
地形スペインの地形スペインの都市名

スペイン本土は高原や山地(ピレネー山脈シエラ・ネバダ山脈)に覆われている。高地からはいくつかの主要な河川(タホ川エブロ川ドゥエロ川グアディアナ川グアダルキビール川)が流れている。沖積平野は沿岸部に見られ、最大のものはアンダルシア州のグアダルキビール川の平野である。東部の海岸にも中規模な河川(セグラ川フカール川トゥリア川)による平野が見られる。

南部と東部は地中海に面し、バレアレス諸島が東部の海岸沖にある。北と西は大西洋に面し、北部で面している海域はカンタブリア海ビスケー湾)と呼ばれる。カナリア諸島アフリカ大陸の大西洋沖にある。
気候と農業「スペインの気候(英語版)」および「スペインの農業(英語版)」も参照

全国的には地中海性気候に属する地域が多い。バスク州からガリシア州にかけての北部は西岸海洋性気候であり、降水量が多い。また、本土から南西に離れたカナリア諸島は亜熱帯気候に属する。農業は適地適作であり、北部は類、畜産物を産する。中央部では麦類、ぶどう、畜産物を産する。東部では柑橘類コメ、南部ではオリーブ、ぶどう、野菜、コメなどの生産が盛んである。

18?19世紀にカトリック教会から収容された広大な土地で鉱業や農業が行われ、後者は地下の帯水層から過剰に汲み上げられる地下水による灌漑に頼っているため、国土の20%程度が砂漠化し、乾燥地・半乾燥地全体では75%にも達する。森林火災表土喪失に拍車をかけている[31]
標準時

スペインはイギリス同様、国土の大部分が本初子午線よりも西に位置しているが、標準時としてはイギリスよりも1時間早い中央ヨーロッパ時間を採用している(西経13度から18度にかけて存在するカナリア諸島は、イギリス本土と同じ西ヨーロッパ時間)。このため、西経3度42分に位置するマドリードにおける太陽の南中時刻は午後1時15分ごろ(冬時間)、午後2時15分ごろ(夏時間)となり、日の出や日の入りの時刻が大幅に遅れる(カナリア諸島についても同様)。スペインでは諸外国と比べて昼食(午後2時ごろ開始)や夕食(午後9時ごろ開始)の時刻が遅いことで有名だが、これは太陽の南中や日没に時間を合わせているためである。
主要都市詳細は「スペインの都市の一覧」を参照

スペインにはマドリードやバルセロナ、バレンシアなど国際的な観光都市が多数存在する。


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