カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)は時代が進むにつれて自らの紋章を変えていった。治世最初の年は、父フィリップ美公と同じ紋章を用いた。1519年に神聖ローマ皇帝に選ばれた後、その紋章を戴冠した双頭の鷲の胸に配置したものを新たな紋章とした。伝統的に神聖ローマ皇帝は双頭の鷲を紋章としていたためである(ドイツの国章を参照)。その後、その紋章を簡略化し、パー・フェスの形式で上部にカトリック両王の紋章、下部にオーストリアの紋章を配置したものを作成した。このバージョンはネーデルラントで人気があった。そのうち、金羊毛騎士団の勲章が盾を囲むように配置されるようになった。
カルロス1世の長い治世で、たくさんのバリエーションの紋章が作られている。アラゴン地方の領土の変遷が紋章にも反映されている。1520年には、カトリック両王の紋章部分の右上と左下(アラゴンとシチリア)が、ティアスト・パー・ペイルの形式でアラゴン、エルサレムとハンガリーの紋章が組み合わさったものに置き換えられた。1530年以降のバージョンはクォータリーの形式で以下の通り。
左上と右下はグランド・クォータリーの形式で左上と右下にカスティーリャとレオン、右上と左下にパー・ペイルの形式で、左側がアラゴンとナバラ、右側がエルサレムとハンガリーの国章を組み合わせたもの。
右上と左下がオーストリアの紋章の下部にグラナダの国章を配置したもの。
戴冠した双頭の鷲の胸に配置され、金羊毛騎士団の勲章が盾を囲むように配置されている。
両脇にヘラクレスの柱が配置され、PLUS ULTRA(プルス・ウルトラ)の文字が記されている。
他方シチリアでカルロス1世が用いた紋章はクォータリーの形式で以下の通りである。
左上と右下はカスティーリャとレオンの紋章を組み合わせたもの。
右上はティアスト・パー・ペイルの形式でアラゴン、エルサレム、ハンガリーの紋章を配置したもの。
右下はパー・ペイルの形式でアラゴン、シチリアの紋章を配置、その下部にグラナダの国章を配置したもの。
戴冠した双頭の鷲の胸に配置されている。
晩年に用いた紋章はクォータリーの形式で以下の通りである。
左上はカスティリャとレオンの紋章を組み合わせたもの。
右上はグランド・クォータリーの形式で左上と右下にアラゴン、右上にシチリア、右下にナバラの紋章を組み合わせたもの。
左下はオーストリアの紋章。
右下はパー・ペイルの形式でエルサレムとハンガリーの紋章を組み合わせたもの。
全体の下部にはグラナダの紋章を配置し、背後には戴冠した双頭の鷹を配置した。
フェリペ2世からカルロス2世の時代(1556年 - 1700年)フェリペ2世の紋章
フェリペ2世の治世で、これ以降のスペイン・ハプスブルク家の紋章が固定された。もともとフェリペ2世が使用していたのは父の紋章を簡略化したものであった。
1580年のポルトガル併合後に作成された紋章はパー・フェスの形式で以下の通りである。
上部はパー・ペイルの形式で左にカスティーリャとレオンの紋章、右にアラゴンとシチリアの紋章を組み合わせ、下部にグラナダの国章を配置したもの。
上部中央にポルトガル王国の国章を配置。
下部はクォータリーの形式で左上にオーストリア、右上にブルグント王国の紋章、左下にブルゴーニュ公国、右下にブラバント公国の紋章を配置したもの。
下部中央にパー・ペイルの形式でフランドル伯とチロルの紋章を組み合わせたものを配置。
盾の上には王冠が載り、金羊毛騎士団の勲章で囲まれている。
ネーデルラントで両脇に金のライオンが配置されたものが使われた。
その後、1640年にポルトガルはスペインから独立したが、スペインでは1668年までこの国章が使われた。
スペイン・ブルボン家(1700年 - 1808年)フェリペ5世の紋章
アンジュー公フィリップ(後のフェリペ5世)はヴェルサイユでフランス王太子ルイ(グラン・ドーファン)の次男として生まれた。1700年にカルロス2世が死去してスペイン・ハプスブルク家が断絶し、遺言により彼がスペイン王に即位した(その際の紛争はスペイン継承戦争を参照)。
スペイン・ブルボン家の紋章はフェリペ5世即位時に、フランスの紋章家であったクレランボー(Clairambault)によって作成された。このときの紋章はパー・フェスの形式で以下の通りである。
上部はパー・ペイルの形式で、左側がクォータリーの形式で左上と右下がカスティーリャ、右上と左下がレオンの紋章。右側がパー・ペイルの形式で左側にアラゴン、右側にシチリアの紋章。上部の下にはグラナダの国章が入る。
下部はクォータリーの形式で左上にオーストリア、右上にブルグント王国の紋章、左下にブルゴーニュ公国、右下にブラバント公国の紋章を配置したもの。下部の下にはフランドル伯とチロルの紋章が入る。
中央にブルボン家の紋章の盾を配置。
カルロス3世(1759年 - 1788年)カルロス3世以降使用されたブルボン家の紋章
大航海時代以降のスペインは次第に国力が低下していったが、カルロス3世の時代にある程度の復興を果たした。カルロス3世は啓蒙専制君主として知られている。
1761年にカルロス3世は紋章の修正を行った。
外側の円は6分割されている。左上はアラゴンとシチリア、右上はオーストリアとブルゴーニュ公国の紋章。
左中段はファルネーゼ家、右中段はメディチ家の紋章。
左下はブルグント王国の紋章、右下はブラバント公国の紋章。下段中央はフランドル伯とチロルの紋章。
内側の円はクォータリーの形式で左上と右下がカスティーリャ、右上と左下がレオンの紋章。下部にグラナダの紋章。
最も内側の円にはブルボン家の紋章。
王冠が載り、金羊毛騎士団の勲章が盾のまわりに配置されている。
簡略版の紋章も同時に作られた。
ブルボン家時代に使用された簡略版の国章
1504年 - 1580年
1580年 - 1668年
1668年 - 1700年
金羊毛騎士団の勲章版
ヘラクレスの柱版
ナポレオン統治下(1808年 - 1813年)ジョセフ・ボナパルトの紋章
1808年にナポレオン・ボナパルトがスペインへ侵攻し、兄ジョゼフ(ホセ1世)が国王に即位した。しかしスペイン国民の支持を受けることなく、ナポレオンの没落とともに1813年には廃位され、亡命した。
1808年にホセ1世は新たな紋章を作成した。
盾は6分割されている。左上はカスティーリャ、右上はレオン、左中段はアラゴン、右中段はナバラ、左下はグラナダ、右下は東南アジアを表す紋章。
中央にはフランス皇帝を表す鷲が配置されている。
ブルボン第一復古王政(1813年 - 1873年)アマデオ1世の紋章
1813年、フェルナンド7世が王位に復帰し、カルロス3世時代に作成された簡略版の紋章を使用した。絶対君主として君臨しようとしたフェルナンド7世は、1820年にスペイン立憲革命で力を失い、1822年に一旦退位、1823年に復位したものの、1812年憲法を受諾し、王権は制限されることとなった。この時期に植民地の独立が相次いだ。
フェルナンド7世の娘であるイサベル2世の時代に宮廷内は荒れ果て、堪りかねた軍部がクーデターを起こし続けた。王の退位を求める声が噴出し、次代のアマデオ1世は1873年2月11日に退位した。