またこの事件によってアメリカ国民の科学に対する興味・関心が高まり、一般人にも解りやすい内容の科学解説書のニーズが急増した。この恩恵を最も受けた人物の1人が、当時ボストン大学を辞して専業作家となったSF作家アイザック・アシモフであり、以後の著作がSFから科学解説などのノンフィクション中心へと移行する契機となった。 日本でも、人類初の人工衛星は話題を呼んだ。文部省ではアメリカと同様に1971年(昭和46年)の学習指導要領改訂で理数教育の、現代化カリキュラムのきっかけとなった。 スプートニク1号打ち上げ成功の直後、日本コロムビアはレコード「人工衛星空を飛ぶ」(作詞:丘灯至夫、作曲:古関裕而、歌:岡本敦郎)を発売した[1]。この曲は「あこがれの郵便馬車」「高原列車は行く」「自転車旅行」と続いた『乗物シリーズ』と同じ作詞・作曲・歌手の組み合わせによって制作されたものである[1]。 評判にあやかり、大判焼を「人工衛星饅頭」と称して発売した店もあった。当時クランクアップ直前だった東宝の特撮映画『地球防衛軍』は、スプートニク1号打ち上げ成功の報を受け、急遽、映画のラストに人工衛星の登場シーンを追加した。 米ソの軍事的パワーバランスが逆転したとの見方が広がり、翌月の毛沢東による「東風が西風を圧した」との宣言やソ連の対日工作も相まって、党内左派に押された日本社会党は反米路線を鮮明にしていった。このことが後の安保闘争の遠因の一つとされる[2]。
日本での反響
脚注[脚注の使い方]^ a b 『小説公園』(六興出版社)1958年新年号、94頁。