スピッツ_(バンド)
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スピッツは、草野が高校時代から温めていた名前で[11][12]、「短くてかわいいのに、パンクっぽい名前である」ことから命名し、犬種の日本スピッツも由来となっており、「弱いくせによく吠える」といったパンクバンドの意味も込められている[13][注釈 2]。また「SP」の音から始まる名前が気に入っており、それにしたかったとも草野が語っている。
メンバー

詳細は各記事を参照。

担当楽器については、公式プロフィールでの表記に準拠
[5]

名前担当楽器生年月日出身地[15]血液型[5]備考
.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}草野 マサムネ(くさの マサムネ)ボーカルギター (1967-12-21) 1967年12月21日(56歳)福岡市早良区O型-
三輪 テツヤ(みわ テツヤ)ギター (1967-05-17) 1967年5月17日(57歳)静岡県藤枝市B型-
田村 明浩(たむら あきひろ)ベース (1967-05-31) 1967年5月31日(56歳)A型リーダー[16]
ア山 龍男(さきやま たつお)ドラムス (1967-10-25) 1967年10月25日(56歳)栃木県佐野市B型-

サポートメンバー

名前担当楽器在籍期間
明石 敏子
キーボードコーラス? - 1997年
クジ ヒロコ[17][18][注釈 3]1998年 -

来歴
バンド結成からインディーズ時代

1986年の春に東京造形大学草野マサムネ田村明浩が出会い、重音楽部に入部した[19][20]。先輩であり、後のFLYING KIDSとなったメンバーの演奏に刺激され、音楽ジャンルの異なるパンクをやることを決意した[21][22]。ドラムにはサークル部員を迎えて「チーターズ」[注釈 4]を結成[23][24]。「365歩のマーチ」のパンク調[25]や「『いちご白書』をもう一度」をブラック・サバス風にしてアレンジして演奏していた[24]。途中からギターのメンバーを1人加え、バンド名を「ザ・スピッツ」と変更した[26][20]。ところが、このバンドは草野がTHE BLUE HEARTSの「人にやさしく[27]」に打ちのめされて活動を休止した[28][29]

1987年に草野が東京造形大学から武蔵野美術大学に再入学したことを期にバンド仲間と疎遠になり、ザ・スピッツは自然消滅となるが、草野と田村の仲は継続していた[30][31]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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