スパルティヴェント岬沖海戦
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1940年11月11日のタラント空襲においてイギリス軍は[6]地中海艦隊に所属する空母「イラストリアス」の艦上攻撃機(雷撃機)ソードフィッシュにより、ターラント湾に停泊していたイタリア戦艦3隻を戦闘不能にした[7][注釈 2]。このタラント奇襲で、イタリア王立海軍保有戦艦6隻のうち健在艦は3隻に半減した[注釈 3]。タラント湾に停泊するイタリア海軍主力艦隊の動きは開戦時から消極的ではあったものの、出撃しなくても地中海を行き来するイギリス軍にとって脅威となっており、またイタリアはそのことに満足していた(現存艦隊主義)。しかし、タラント空襲後、港にいても安全ではないことがわかり、生き残った艦隊を使用するようになった[9]。「マルタ輸送船団」も参照

11月17日、戦艦2隻(ヴィットリオ・ヴェネトジュリオ・チェザーレ)を中心とするイタリア艦隊が、英領マルタ(英語版)へ航空機輸送中(ホワイト作戦)の空母「アーク・ロイヤル」、「アーガス」を中心とするイギリス艦隊の迎撃に出撃した。このクラブランに従事していたのは[10]ジブラルタルを拠点とするH部隊であった。イギリス艦隊はイタリア艦隊の接近を知り、艦載していたマルタへの輸送航空機を本来の予定地よりも遠くで発艦させ、すぐにジブラルタルへ引き返した。しかし、マルタ島へ向けて発進したハリケーン戦闘機スクア爆撃機は、強風の影響や誘導の失敗などで14機中9機が失われた。

続いて地中海ではイギリス軍のMB9作戦が実行されようとしていた。この一部としてジブラルタルからマルタエジプトへ向けてイギリス空軍の人員や物資を運ぶ船団が運航されることとなった(Operation Collar)。この作戦でジブラルタルから出撃するH部隊指揮官サマヴィル中将は[注釈 4]、イタリア艦隊を誘い出す役目を担っていた[9]。またドイツ海軍ポケット戦艦対策の一部として、地中海艦隊(司令長官カニンガム中将)から戦艦「ラミリーズ」など何隻かの艦艇がH部隊に派遣されている[9]
海戦前の動き「MB9作戦」も参照

11月24日から25日の夜、サマヴィル中将が指揮するB部隊(巡洋戦艦レナウン、空母アーク・ロイヤル、巡洋艦2隻、駆逐艦9隻)、F部隊(巡洋艦2隻、駆逐艦1隻、コルベット4隻、輸送船3隻)がジブラルタル海峡を通過した。26日、マルタからD部隊(戦艦ラミリーズ、巡洋艦3隻、駆逐艦5隻)が出航し、ジブラルタルへ向かった。

11月26日、ジブラルタルからの船団攻撃のためイタリア艦隊がナポリから出撃した[9]。戦艦「ヴィットリオ・ヴェネト」、「ジュリオ・チェザーレ」と重巡洋艦「ボルツァーノ」、「フィウメ」、「ゴリツィア」、「ポーラ」、「トリエステ」、「トレント」および駆逐艦多数を擁する強力な艦隊であった[注釈 1]11月27日から28日の夜、イタリア水雷艇「シリオ (Clio) 」がD部隊を発見した。「シリオ」は雷撃をおこなったが命中しなかった。
戦闘経過

11月27日午前10時40分、イタリア重巡洋艦「ボルツァーノ」の偵察機が、イギリス艦隊(戦艦1隻、巡洋艦2隻、駆逐艦4隻)を発見した[9]


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