スパリゾートハワイアンズ
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常磐炭鉱(後の常磐興産)での整理解雇は、1955年から始まった[4]

そこで炭鉱労働者の労務対策を主として[5]、さらに同社の新たな収入源確保のため、炭鉱以外の新規事業を立ち上げることになり、『日本人が行ってみたい外国ナンバー1』だった「ハワイ」に着目。炭鉱地下から湧き出る豊富な常磐湯本の温泉水を活用し[5]、「夢の島ハワイ」をイメージしたリゾート施設「常磐ハワイアンセンター」(じょうばんハワイアンセンター)の建設を計画した。しかし、社内でも先行きを疑問視する声が強く、炭鉱の最前線にいた社員たちの転身にも根強い反対があり、「10年続けば御の字」という悲観的な見方すらあった。最終的には当時の常磐湯本温泉観光社長(常磐炭鉱副社長兼務、後に社長)の中村豊が押し切る形で事業を推進。総工費20億円をかけ、温水プール「ハワイアンセンター」や宿泊施設を整備[5]

フラダンス、タヒチアンダンス、ポリネシアンダンスのダンサーは、自前で設立した常磐音楽舞踊学院から人材を供給した。
常磐ハワイアンセンター

1964年に運営子会社として常磐湯本温泉観光株式会社を設立し、1966年にオープン[6]高度経済成長を遂げる日本に於いて、1964年海外旅行が自由化されたものの、庶民には高嶺の花という時代であり、開業前の悲観論を尻目にホテルが当時破格の1泊3千円以上ながら東京方面から多くの観光客を集め、大型温水プールを中心にした高級レジャー施設として年間120万人強の入場者を集めた[7]。年間入場人員は、1968年度には140万人を突破し、1970年度には155万3千人となりピークに達した[7]

1971年ニクソン・ショックによりブレトン・ウッズ体制が崩壊してスミソニアン体制に移行し、1アメリカ合衆国ドル=360円から308円に切り上げされ、1973年には変動相場制移行とオイルショックによって輸出に依存していた日本の高度経済成長は終焉を迎えた。当センターの入場人員も日本の経済状況に合わせて減少し、1975年度には年間110万人にまで落ち込んだ[7]ハワイ州オアフ島出身のアグネス・ラムの人気もあってか、1976年度はやや入場人員が増加したものの、1977年度以降は年間100万人から多くても年間110万人程度で横ばい状態が続いた[7]、この時期、毎週日曜日および祝日にはアイドル歌手や演歌歌手の歌謡ショーが開催されていた[† 1]1984年度には初めて営業赤字を計上した[8]

1988年3月24日常磐自動車道いわき中央ICまで全線開通し、バブル景気に沸く首都圏と直結すると、1988年度に一気に年間140万人超まで入場人員が増加した[7][8]。これを機に総事業費50億円をかけてリニューアルを始めることになった。
スパリゾートハワイアンズ「スパリゾートハワイアンズ」正面出入口と、「モノリスタワー」

1990年、オープン25周年を機に「常磐ハワイアンセンター」を「スパリゾートハワイアンズ」に改名し、「スプリングパーク」をオープンした。同年度および翌1991年度は年間140万人超の入場人員があったが、バブル崩壊1992年度には年間120万人台にまで減少した[7]

一方、1985年プラザ合意により急速な円高が発生してバブル景気期には海外旅行が普及するが、1994年には円相場が1米ドル=100円の大台を突破して円高が進行し、さらに同年の航空法改正でZONE PEX運賃が導入されて格安航空券が一般化した。すると「本当のハワイに行った方が安い」とまで言われるようになり、同年度以降、年間110万人前後で横ばい状態になった[7]。1994年度に再び営業赤字を計上した[8]

1997年、日本一の大露天風呂「江戸情話 与市」をオープンした。すると、同年度に年間120万人を回復し、ここから右肩上がりに入場人員の増加が続くことになる[7]。これは、前身の常磐ハワイアンセンターから引き継いだ「ハワイ」「南国」というコンセプトに加え、海水浴と比べて日焼けの心配が低い屋内プールや美白の効能があるとされる温泉[9]を備えた当施設が美白を求める女性[† 2]の需要に合致し、さらに東京仙台などからの無料バスによる送迎サービスを行うなどの集客努力が功を奏したものと考えられている。また、2000年アクアマリンふくしまが開館して人気施設となり、いわき市内で回遊性が生まれたことも影響したと考えられている。2005年度には常磐ハワイアンセンター時代の1970年度以来の年間利用者数150万人を達成した[7]

2006年9月23日から、日本映画フラガール』が全国公開されたのを機に、「ワイワイ・オハナ」「アロハタウン」「フラ・ミュージアム」など次々オープンした。すると、翌2007年度には過去最高の年間161万1千人が入場し、かつ、初の年間160万人超を達成した[7]
震災・感染症などによる臨時休業
東日本大震災

2011年3月11日14時46分に発災した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)では、当施設のあるいわき市で震度6弱を観測[10]。施設内で死者や重傷者が出なかったものの、施設内の建物に大きな被害が出た。当初早期の再開を目指したが、丁度1か月後の4月11日には福島県浜通り地震が発生。市内南部の井戸沢断層に加え、当館直下に存在した湯の岳断層が同時多発的にずれ動き、東北地方太平洋沖地震の本震よりも深刻な被害を出した。さらに、近隣の自治体である福島県大熊町での福島第一原子力発電所事故の被災者を二次避難先扱いで受け入れていたことから、半年にわたる休業を余儀なくされた。

この困難を常磐炭鉱が次々と閉山していた頃の困難になぞらえ、また、震災復興への願いを込め、46年ぶりとなる全国キャラバン「フラガール全国きずなキャラバン」で日本各地で開催した。以降も、日本各地で自然災害が発生するたびに、被害の大きかった地域で同様のイベントを実施している。

なお、上記の事情から2011年の年間利用者は40万人を切ったが、2012年2月8日に全面営業を再開。年間利用者は2012年度に140万人に回復し、翌2013年度には150万7千人となった。
新型コロナウイルス感染症による一部施設の臨時休園

2020年初頭からの日本国内での新型コロナウイルス感染症(COVID-19)流行を受け、同年3月4日から23日まで日帰り施設の臨時休園を余儀なくされた[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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