スパイ小説
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1940年、イギリスの作家マニング・コールズ(Manning Coles)[注 2] が『昨日への乾杯(Drink to Yesterday)』を発表した。これは、トマス・エルフィンストン・ハンブルドン(Thomas Elphinstone Hambledon)シリーズの第1作で、第一次世界大戦を舞台とした非情な物語だった。第2作『Pray Silence』(1941年)は深刻な事件にかかわらず明るいトーンを持っていた。戦後のハンブルドンものは紋切り型になって、批評家の興味も失われた。
冷戦

第二次世界大戦に引き続いて起こった冷戦はスパイ小説を強く刺激した。

大国間(資本主義陣営 vs.共産主義陣営)の核抑止力による実戦を伴わない駆け引き(情報戦)が、現実の世界にスパイと呼ばれる情報機関員を暗躍させ、フィクションの世界にも多くのスパイエージェントが登場することとなったのである。
イギリス

1950年代初期、デズモンド・コーリイ(Desmond Cory)は架空の「殺しのライセンス」を持ったスパイ(ジョニー・フェドラ Johnny Fedora)を登場させた。

グレアム・グリーンイギリス情報局秘密情報部での実体験から、東南アジアが舞台の『おとなしいアメリカ人(The Quiet American)』(1955年)、ベルギー領コンゴが舞台の『燃えつきた人間(A Burnt-out Case)』(1961年)、ハイチが舞台の『喜劇役者(The Comedians))』(1966年)、パラグアイの国境に近いアルゼンチンの町コリエンテス(Corrientes)が舞台の『名誉領事(The Honorary Consul)』(1973年)、ロンドンのスパイを描いた『ヒューマン・ファクター』(1978年)など、多数の左翼的・反帝国主義的スパイ小説を生み出した。しかし、グリーンのスパイ小説で最も有名なものは、カストロ政権以前のキューバでのイギリス情報部のヘマを描いた悲喜劇『ハバナの男(Our Man in Havana)』(1958年 ハバナの電器店経営者が偶然からイギリス情報部に雇われ、偽情報で報酬を巻き上げる)である。

イアン・フレミングの創造したスパイ、007ジェームズ・ボンドは架空のスパイとしてはもっとも有名な人物である。しかし、フレミングの商業的大成功にもかかわらず、他の作家たちはすぐに反=ボンド的ヒーローを作り出した。その代表的な例がジョン・ル・カレの創造したジョージ・スマイリー(George Smiley)や、レン・デイトンの創造したハリー・パーマー(Harry Palmer)もしくはバーナード・サムソン(Bernard Samson)、あるいはブライアン・フリーマントルのシリーズ作品に登場するチャーリー・マフィン(Charlie Muffin)である。彼らは、スパイ活動の道徳性に懐疑的だった1930年代の作家たちの作品をモデルにした。たとえば、ボンドと対照的なル・カレのスマイリーは妻の浮気に悩むさえない中年の情報機関高官であり、レン・デイトン作品中のバーナードにいたっては妻が敵陣営であるソ連のスパイであったりする。

フレデリック・フォーサイス(『ジャッカルの日』1971年)やケン・フォレット(『針の眼(Eye of the Needle)』1978年)はジャーナリスティックにスパイ・テーマにアプローチし、歴史的事件の劇的な使い方が絶賛された。

それとは文学的にもスパイ活動のノウハウへの焦点の当て方にも異なるのが、アダム・ホールの『不死鳥を倒せ(The Berlin Memorandum 、アメリカ題:The Quiller Memorandum)』(1965年)で、ここから始まったイギリス人スパイ、クィラー(Quiller)シリーズは人気を博した。ジョゼフ・ホーン(Joseph Hone)も『The Private Sector』(1971年)から、マーロー・シリーズをスタートさせた。
アメリカ合衆国

それまでスパイ小説といえばイギリスのものが優勢を占めていたが、この時代になってはじめてアメリカ合衆国の作家たちが台頭し、イギリス勢を追い抜くまでになった。

1960年に発表されたドナルド・ハミルトン(Donald Hamilton)の『誘拐部隊(Death of a Citizen)』と『破壊部隊(The Wrecking Crew)』は、無慈悲な逆スパイ兼暗殺者マット・ヘルム(Matt Helm)をデビューさせ、その後長寿シリーズとなった。部隊シリーズは漫画化、そしてディーン・マーティン主演で映画化された。

ロバート・ラドラムの処女作『スカーラッチ家の遺産(The Scarlatti Inheritance)』(1971年)はハードカバーではそこそこしか売れなかったが、ペーパーバックベストセラーになり、ラドラムの出世作となった。ラドラムは一般に現代スパイ・スリラーの創始者と考えられ、賛否両論の評価を受け、広く模倣された。

1970年代・1980年代には、元アメリカ中央情報局(CIA)職員のチャールズ・マッキャリー(Charles McCarry)が、スパイ活動のノウハウの専門的知識と高度の文学性を併せ持つ『暗号名レ・トゥーを追え(The Tears of Autumn)』など、6冊の小説を書き、高い評価を得た。

トム・クランシーもCIAアナリスト、ジャック・ライアン・シリーズでスパイ小説に参戦した。その第1作『レッド・オクトーバーを追え』(1984年)は大きなセンセーションを巻き起こし映画化もされた。テクノ・スリラー(techno-thriller)は、ウェールズ人作家クレイグ・トーマスが『ファイアフォックス(Firefox)』(1977年)で創始したと言われているが、それを確立させたのはクランシーだった。しかしテクノ・スリラーだけでなく、とくに初期の『レッド・オクトーバーを追え』や『クレムリンの枢機卿』には、スパイ小説のさまざまな要素が含まれていた。
フランス

ウラジーミル・ヴォルコフ(Vladimir Volkoff)はスパイとそれを取り巻く環境をリアリズムの手法で詳細に描いた。『寝返り(Le retournement )』(1979年)、『モンタージュ(Le montage )』(1982年)、青少年向けの『Langelot』シリーズ(1965年 - 1986年)など。

一方で「セリ・ノワール(Serie noire)」「Fleuve noir」といったいくつかのエスピオナージュ叢書が成功を収めた。それらの大衆小説はエロティックな(あるいはポルノグラフィックな)シーンやアクション、ヴァイオレンス(はっきり言うとサディズム)、それに異国情緒(人種差別的)を前面に打ち出していた。ドミニック・ポンシャルディエ(Dominique Ponchardier)の『ゴリラ(Le Gorille)』シリーズ(1957年 - 1982年)や、プリンス・マルコ(Malko Linge)が主人公のジェラール・ド・ヴィリエの『SAS』シリーズ(1965年 - )などが有名である。


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