女流推理小説家として知られるアガサ・クリスティは、第2次世界大戦終戦まで、ドイツのスパイとの対決する冒険小説を「トミーとタペンス」ものを中心として書いている(『秘密機関』『NかMか』)。終戦後は敵はKGBに変更され、『複数の時計』では、エルキュール・ポアロが、殺人事件を解決する過程で、図らずもソ連スパイ網を暴く。
フランスでは、ピエール・ノール(Pierre Nord)が『Double crime sur la ligne Maginot(マジノ線の二重犯罪)』(1936年)を発表した。この作品は近代フランス・エスピオナージュ小説の最初の作品と考えられている。 第二次世界大戦が始まった1939年、グラスゴー出身のヘレン・マッキネスが『Above Suspicion』を発表した(アメリカでの出版は1941年)。マッキネスにとっては以後45年にわたる作家活動の始まりだった。批評家は、現代史を背景としたマッキネスの巧みさ、畳みかける展開、入り組んだプロットを絶賛した。マッキネスの作品には他に『Assignment in Britanny』(1942年)、『Decision at Delphi』(1961年)、『Ride a Pale Horse』(1984年)などがある。 1940年、イギリスの作家マニング・コールズ(Manning Coles 第二次世界大戦に引き続いて起こった冷戦はスパイ小説を強く刺激した。 大国間(資本主義陣営 vs.共産主義陣営)の核抑止力による実戦を伴わない駆け引き(情報戦)が、現実の世界にスパイと呼ばれる情報機関員を暗躍させ、フィクションの世界にも多くのスパイやエージェントが登場することとなったのである。 1950年代初期、デズモンド・コーリイ(Desmond Cory
第二次世界大戦
冷戦
イギリス
グレアム・グリーンはイギリス情報局秘密情報部での実体験から、東南アジアが舞台の『おとなしいアメリカ人(The Quiet American)』(1955年)、ベルギー領コンゴが舞台の『燃えつきた人間(A Burnt-out Case)』(1961年)、ハイチが舞台の『喜劇役者(The Comedians))』(1966年)、パラグアイの国境に近いアルゼンチンの町コリエンテス(Corrientes)が舞台の『名誉領事(The Honorary Consul)』(1973年)、ロンドンのスパイを描いた『ヒューマン・ファクター』(1978年)など、多数の左翼的・反帝国主義的スパイ小説を生み出した。しかし、グリーンのスパイ小説で最も有名なものは、カストロ政権以前のキューバでのイギリス情報部のヘマを描いた悲喜劇『ハバナの男(Our Man in Havana)』(1958年 ハバナの電器店経営者が偶然からイギリス情報部に雇われ、偽情報で報酬を巻き上げる)である。
イアン・フレミングの創造したスパイ、007ジェームズ・ボンドは架空のスパイとしてはもっとも有名な人物である。しかし、フレミングの商業的大成功にもかかわらず、他の作家たちはすぐに反=ボンド的ヒーローを作り出した。その代表的な例がジョン・ル・カレの創造したジョージ・スマイリー(George Smiley)や、レン・デイトンの創造したハリー・パーマー(Harry Palmer)もしくはバーナード・サムソン(Bernard Samson)、あるいはブライアン・フリーマントルのシリーズ作品に登場するチャーリー・マフィン(Charlie Muffin)である。彼らは、スパイ活動の道徳性に懐疑的だった1930年代の作家たちの作品をモデルにした。たとえば、ボンドと対照的なル・カレのスマイリーは妻の浮気に悩むさえない中年の情報機関高官であり、レン・デイトン作品中のバーナードにいたっては妻が敵陣営であるソ連のスパイであったりする。
フレデリック・フォーサイス(『ジャッカルの日』1971年)やケン・フォレット(『針の眼(Eye of the Needle)』1978年)はジャーナリスティックにスパイ・テーマにアプローチし、歴史的事件の劇的な使い方が絶賛された。
それとは文学的にもスパイ活動のノウハウへの焦点の当て方にも異なるのが、アダム・ホールの『不死鳥を倒せ(The Berlin Memorandum 、アメリカ題:The Quiller Memorandum)』(1965年)で、ここから始まったイギリス人スパイ、クィラー(Quiller)シリーズは人気を博した。ジョゼフ・ホーン(Joseph Hone)も『The Private Sector』(1971年)から、マーロー・シリーズをスタートさせた。 それまでスパイ小説といえばイギリスのものが優勢を占めていたが、この時代になってはじめてアメリカ合衆国の作家たちが台頭し、イギリス勢を追い抜くまでになった。 1960年に発表されたドナルド・ハミルトン
アメリカ合衆国
ロバート・ラドラムの処女作『スカーラッチ家の遺産(The Scarlatti Inheritance)』(1971年)はハードカバーではそこそこしか売れなかったが、ペーパーバックでベストセラーになり、ラドラムの出世作となった。ラドラムは一般に現代スパイ・スリラーの創始者と考えられ、賛否両論の評価を受け、広く模倣された。
1970年代・1980年代には、元アメリカ中央情報局(CIA)職員のチャールズ・マッキャリー(Charles McCarry)が、スパイ活動のノウハウの専門的知識と高度の文学性を併せ持つ『暗号名レ・トゥーを追え(The Tears of Autumn)』など、6冊の小説を書き、高い評価を得た。
トム・クランシーもCIAアナリスト、ジャック・ライアン・シリーズでスパイ小説に参戦した。その第1作『レッド・オクトーバーを追え』(1984年)は大きなセンセーションを巻き起こし映画化もされた。テクノ・スリラー(techno-thriller)は、ウェールズ人作家クレイグ・トーマスが『ファイアフォックス(Firefox)』(1977年)で創始したと言われているが、それを確立させたのはクランシーだった。しかしテクノ・スリラーだけでなく、とくに初期の『レッド・オクトーバーを追え』や『クレムリンの枢機卿』には、スパイ小説のさまざまな要素が含まれていた。 ウラジーミル・ヴォルコフ
フランス
一方で「セリ・ノワール(Serie noire)」「Fleuve noir」といったいくつかのエスピオナージュ叢書が成功を収めた。それらの大衆小説はエロティックな(あるいはポルノグラフィックな)シーンやアクション、ヴァイオレンス(はっきり言うとサディズム)、それに異国情緒(人種差別的)を前面に打ち出していた。ドミニック・ポンシャルディエ(Dominique Ponchardier)の『ゴリラ(Le Gorille)』シリーズ(1957年 - 1982年)や、プリンス・マルコ(Malko Linge)が主人公のジェラール・ド・ヴィリエの『SAS』シリーズ(1965年 - )などが有名である。SASシリーズは映画化もされた長寿シリーズで、2008年の段階で174作に達している。 社会主義国の代表的なスパイ小説家は、ユリアン・セミョーノフ(Yulian Semyonov)である。セミョーノフの小説は、ロシア内戦(1918年 - 1922年)から第二次世界大戦、冷戦までの広範囲のソ連国家保安委員会(KGB)の歴史を扱っている。セミョーノフの『春の十七の瞬間』はソビエトでTVシリーズ化された(Seventeen Moments of Spring参照)。 冷戦の終結時、ノーマン・メイラーはアメリカ合衆国のスパイ活動への憧れから1300ページの『ハロッツ・ゴースト(Harlot's Ghost 鉄のカーテンの解体で、もはやロシアや東欧諸国はスパイ小説の敵とは思われなくなった。CIAの存在自体も疑問視され、アメリカ合衆国議会はその解体について深刻に議論した。もちろんスパイ小説への関心も急落した。
ソビエト連邦
冷戦後