スパイダーマン_(映画)
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残念ながら他の脚本家が書き直すごとにどんどん悪くなっていった」とコメントした[12]。その後キャノンは経営が悪化し、既に150万ドルを費やしていたプロジェクトは中止された[8]。1989年、当時イタリア人投資家のジャンカルロ・パレッティ(英語版)が経営していたパテによりキャノンは買収された。グローバスはパテとも関係を持ち続けたが、ゴーランは去って、『スパイダーマン』を含むいくつかの権利を手にして21世紀フィルム・コーポレーション(英語版)を立ち上げた。彼はまた、マーベルとの『スパイダーマン』のオプションを1992年1月まで延長した[7]

ゴーランは低予算用に書き直した脚本を棚上げとし、当初予定されていた大型予算用の脚本、ストーリーボードを使って資金を調達しようとした[13]。1989年5月のカンヌで21世紀フィルムは9月製作開始を発表し、「バーニー・コーエンとテッド・ニューサムとジョン・ブランカトーとジョセフ・グッドマン」による脚本を売り込んだ[14]。ゴーランはこのプリセールスにより、バイアコムにテレビ放送権、 コロンビア ピクチャーズにビデオ販売権を売って資金を集めた。この時点でスティーヴン・ヘレクが監督する話が浮上していた[15]。ゴーランは1989年後半に「新しい」脚本(実際には1985年に書かれていたものだが日付を「1989年」と修正した)をコロンビア映画に提出し、そしてスタジオ側はさらなる書き直しを要求した。ゴーランはフランク・ラロッジアを雇い、その草案を提出したが、彼は21世紀フィルムズに幻滅した。さらにニール・ラッテンバーグが雇われてもう一つの草案を書き、それはコロンビア側のスクリプト・リーダーによって「カバー」された[16]。コロンビアの脚本アナリストは提出された3本を「全て同じストーリー」とみなした。スタジオは仮の製作契約を結んだ。1990年、スタン・リーは「コロンビアは最後には21世紀フィルムから『スパイダーマン』を買ってしまうかもしれない」と述べた[17]
カロルコ・ピクチャーズ

21世紀フィルムのメナヘム・ゴーランは『スパイダーマン』の映画化のために活動を続け、元の脚本を入札者に送っていた。1990年にはカナダの視覚効果会社のライト・アンド・モーション・コーポレーションに連絡を取り、ストップモーションで知られるスティーブン・アーチャーにオファーした[18]

トゥルーライズ』の撮影が終わりかけていた頃、『バラエティ』はカロルコ・ピクチャーズがジェームズ・キャメロンから完成済みの脚本を受け取ったことを報じた[19]。この脚本には、ジェームズ・キャメロン、ジョン・ブランカトー、テッド・ニューサム、バリー・コーエン、「ジョセフ・ゴールドマリ」の名が記されていた[20]。脚本テキストは前年にゴーランがコロンビアに提出したものと同一であり、新しく1993年付と加えられていた。キャメロンは交流のあるアーノルド・シュワルツェネッガーをドクター・オクトパス役にしようと考えていた[21][22]
ジェームズ・キャメロンの「スクリプトメント」

数ヶ月後、ジェームズ・キャメロンは以前とは別のストーリーを描いた47ページの「スクリプトメント(英語版)」(あらすじ以上シナリオ未満の詳細な概要)を提出した[8]。この「スクリプトメント」ではスパイダーマンのオリジンが語られ、コミックのエレクトロサンドマンがヴィランとして登場する。キャラクターはどちらも原作からアレンジされている。「エレクトロ」は、マックス・ディロンではなくカールトン・ストランドという新たな名前を持ち、電力ではなく情報エネルギーをコントロールする力を持つ。また「サンドマン」はフリント・マルコではなく単にボイドと呼ばれ、ビーチで核爆発に巻き込まれて生まれたのではなく、フィラデルフィア計画のようなバイオロケーションと原子混合実験によって突然変異した設定となった。ストーリーのクライマックスではワールドトレードセンターの頂上で戦い、ピーター・パーカーがメリー・ジェーン・ワトソンに正体を明かす。さらにこのトリートメントでは多くの卑語が含まれ、スパイダーマンとメリー・ジェーンのセックスも描かれた[23]

1992年4月、カロルコは財政難と法的な問題により『スパイダーマン』の製作を断念した[24]
訴訟

ジェームズ・キャメロンが『スパイダーマン』の製作に同意した時、カロルコの弁護士は彼の以前の作品である『ターミネーター2』の契約をテンプレートとして利用した。この協定内の条項でキャメロンには映画と広告にクレジットが残る権利が与えられた。ショービジネスの取引記事や広告は未だに映画に取り組んでいたゴーランには言及しなかった[7]。1993年、ゴーランはプロデューサーとしてクレジットされる契約上の保証を否認するため、最終的にカロルコを訴えた。一方でキャメロンはクレジットされる契約上の権利を所有していた[9]。カロルコは放送とホームビデオ権を回復するためにバイアコムとコロンビアを訴え、両スタジオは反訴した[6]。また20世紀フォックスは別の契約下で監督するとしてキャメロンの参加に対して論争を起こした[8]。1996年、カロルコ、21世紀、マーベルは倒産した。

1995年3月28日付でカロルコが権利を放棄し、MGMは21世紀の映画ライブラリーと財産、そして「すべての権利とジェームズ・キャメロン、テッド・ニューサム、ジョン・ブランカトー、メナハム・ゴーラン、ジョン・マイケル・ポール、イーサン・ワイリー、レスリー・スティーヴンス、フランク・ラロッジア、ニール・ラッテンバーグ、バーニー・コーエン、シェパード・ゴールドマンやその他全ての脚本家が執筆した『スパイダーマン』のすべての草案と脚本」を手にした[25]。またMGMはキャノンとマーベル間の最初の契約に不正があったと主張し、21世紀、バイアコム、マーベルコミックを訴えた。1998年、マーベルはトイ・ビズとの合併という再建計画で破産から抜け出した[7]。裁判所はゴーランの最初の契約は有効期限が切れており、マーベルに権利を戻す判決を下したが、問題は完全に解決しなかった。1999年、マーベルはソニー・ピクチャーズ エンタテインメントの子会社のコロンビア ピクチャーズに『スパイダーマン』の権利を許可した[26]。MGMはキャノン、21世紀、カロルコを通じて『スパイダーマン』の権利を有していると主張し、その合法性に異議を唱えた[27]
コロンビア ピクチャーズ

訴訟問題が起こっている頃にMGM/UAの重役のジョン・キャリー(英語版)がコロンビア ピクチャーズに移籍した。『007 サンダーボール作戦』の権利を保持しているケヴィン・マクローリー(英語版)は、『ネバーセイ・ネバーアゲイン』に続く独自の『007』映画の製作を持ちかけ、キャリーはコロンビアが取得した「マクローリーの要素」を基にした別の『007』シリーズを製作すると発表した[28]

両スタジオは独自の長期的な財務の安定性と計画をアンダーカットできたライバルのプロジェクトに直面していた。当時のコロンビアは人気シリーズを有しておらず、1989年以来、『スパイダーマン』を求めていた。一方でMGM/UAの唯一の看板シリーズはジェームズ・ボンド映画であり、別の『007』シリーズの登場に危機感を持っていた。このように二社は、二本の映画化権を巡って摩擦を引き起こしていた[29]

1999年3月、両スタジオは友好的な取引を行った。コロンビアは新しい『007』シリーズを製作する権利を放棄し、それと引き換えにMGMは『スパイダーマン』を放棄したのである[30]。2000年にコロンビアはこれまでに書かれた全ての脚本の権利を獲得したが[16]、オプション権を「キャメロンのもの」だけに行使した[8]


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