スパイダーマンの映画作品
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1985年、ロジャー・コーマンが持っていた『スパイダーマン』の短期間の契約オプションが切れると[5]マーベル・コミックキャノン・フィルムズと契約を交わした。キャノンの社長のメナヘム・ゴーランと彼の従兄弟のヨーラム・グローバスはマーベルコミックに5年間で22万5000ドルと映画の収益の一部を支払うことで合意した[6]。1990年4月までに映画が製作されない場合、権利はマーベルに戻ることになっていた[7]

まず『スペースインベーダー』と『悪魔のいけにえ2』を制作準備中であったトビー・フーパーへ監督の話が持ちかけられた。ゴーランとグローバスはキャラクターのコンセプトを勘違いしており(ジョセフ・ジトー(英語版)によると「彼らは狼男のようなものだと思い込んでいた」)[8]、その勘違いを反映した草案をレスリー・スティーヴンス(英語版)が執筆した。スティーヴンスのストーリーは、企業の科学者が写真家のピーター・パーカーに故意に放射線を浴びせ、毛むくじゃらで腕が8本あるタランチュラ人間となる内容であった[8][9]

マーベルのスタン・リーはコミックからの設定変更に不満を持ち、新しい脚本をテッド・ニューサムとジョン・ブランカトー(英語版)が執筆した[10]。この脚本ではピーター・パーカーは大学生で、オットー・オクタビアスがその先生である。だがサイクロトロンの事故によりスパイダーマンが「作り」出され、またオクタビアスもドクター・オクトパスとなり、第5の力を証明しようと狂気を起こしてしまう。オクトパスはサイクロトロンを再起動し、電磁異常、反重力の影響、ニューヨークと世界をのみ込む恐れがあるバイロケーションを引き起こそうとする。監督はトビー・フーパーに代わり、キャノンの映画『地獄のコマンド』を成功させたジョセフ・ジトーが務めることとなった[11]。ジトーは脚本書き直しのためにバーニー・コーエンを雇った。コーエンはアクションシーンを追加し、オクトパスには「Okey-dokey」というキャッチフレーズを与え、彼の目的を第5の力から反重力の研究に変更した。プロデューサーのゴーランも「ジョセフ・グッドマン」名義でコーエンが書き直した脚本に小さな要素を加えた。ジトーはアメリカ合衆国とヨーロッパの両方でロケ地とスタジオを探し、ハーパー・ゴフによりストーリーボードが監修された。キャノンは当時としてはかなり高額となる1500万ドルから2000万ドルの製作費を予定した[6]

キャスティングは確定していなかったが、ジトーは俳優でスタントマンでもあるスコット・レヴァ(英語版)に興味を示し、キャノンに彼を使ってプロモーション写真や広告を作った。また当時新規精鋭俳優だったトム・クルーズも主役に興味を示していた。ジトーはまたドクター・オクトパス役にはボブ・ホスキンスを検討した。さらにスタン・リーは『デイリー・ビューグル(英語版)』編集長のJ・ジョナ・ジェイムソンを自ら演じたいことを明かした[12]。他にローレン・バコールキャサリン・ヘプバーンがメイおばさん(英語版)役、ピーター・カッシングシンビオートの研究者役、アドルフ・シーザーが刑事役に検討されていた [10]。キャノンは 『スーパーマンIV』と『マスターズ/超空の覇者』の製作費高騰に伴い、『スパイダーマン』の製作費を1000万ドル以下まで減らす提案をした。ジトーは危うくなった『スパイダーマン』を作る気がなくなり、監督を降板した。会社側は低予算でできる脚本に書き直させるためにシェパード・ゴールドマン、ドン・マイケル・ポール、イーサン・ワイリーに依頼し、またアルバート・ピュンも協力した[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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