スパイダーマンの映画作品
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Spider-man1977年9月14日 (1977-09-14)E. W. SwackhamerAlvin BoretzCharles W. Fries, Daniel R. Goodman and Edward J. Montagne
スパイダーマン プルトニウムを追え
Spider-Man Strikes Back1978年5月8日 (1978-05-08)Ron StatlofRobert Janes
スパイダーマン ドラゴンの挑戦
Spider-Man: The Dragon's Challenge1981年5月9日 (1981-05-09)Lionel E. Siegel

『スパイダーマン』(1977年)詳細は「スパイダーマン (1977年の映画)」を参照

1977年、テレビシリーズ『アメイジング・スパイダーマン』のパイロット・エピソードが、コロンビア・ピクチャーズによって『スパイダーマン』としてアメリカ国外で公開された。監督はE・W・スワックハマー、脚本はアルビン・ボレッツで、主人公をニコラス・ハモンド、J・ジョナ・ジェイムソンをデヴィッド・ホワイト、メイ・パーカーをジェフ・ドネルが演じた。この作品は1977年9月14日にCBSで初放送され、1980年にはVHSで公開された。現在、日本で見れるスパイダーマンの1番目の作品である。ヤフオク等のネットオークションでビデオテープで入手できる。
『スパイダーマン プルトニウムを追え』(1978年)詳細は「スパイダーマン プルトニウムを追え」を参照

1978年、テレビシリーズ『アメイジング・スパイダーマン』の2部構成のエピソード「Deadly Dust」が再編集され、長編映画『スパイダーマン プルトニウムを追え』としてアメリカ国外で公開された。ニコラス・ハモンドがピーター・パーカー/スパイダーマン役を再演し、デビッド・ホワイトに代わってロバート・F・サイモンがJ・ジョナ・ジェイムソン役を演じている。この映画は1978年5月8日に劇場公開された。
『スパイダーマン ドラゴンの挑戦』(1981年)詳細は「スパイダーマン ドラゴンの挑戦」を参照

1981年、テレビシリーズ『アメイジング・スパイダーマン』のフィナーレ「チャイニーズ・ウェブ」を、『スパイダーマン プルトニウムを追え』と同じ手法で映画化したものが、「スパイダーマン ドラゴンの挑戦」としてヨーロッパ地域で公開された。ニコラス・ハモンドとロバート・F・サイモンがそれぞれピーター・パーカー/スパイダーマンとJ・ジョナ・ジェイムソン役で再登場。監督はロン・サトロフ、脚本はロバート・ジェインズが担当。その他、ロザリンド・チャオ、ベンソン・フォン、エレン・ブライなどが出演した。
日本の映画

作品公開日監督脚本原作製作
スパイダーマン1978年7月22日 (1978-07-22)竹本弘一高久進八手三郎吉川進

『スパイダーマン』(1978年)詳細は「スパイダーマン (1978年の映画)」を参照

1978年7月22日、東映は「東映まんがまつり」で、テレビシリーズ『スパイダーマン』のスピンオフ作品を劇場公開した。監督はテレビシリーズの8話を担当した竹本弘一。映画公開の翌週には、映画に登場した間宮十三がテレビシリーズのエピソードに登場した。2009年には、他のシリーズと同様に、マーベルの公式サイトでストリーミング配信された。
開発

1977年、テレビドラマ『The Amazing Spider-Man』のパイロット・エピソードがアメリカ合衆国以外ではコロンビア ピクチャーズによりフィーチャー映画スパイダーマン』が公開された(日本では『溶解人間』との2本立てで1978年8月19日公開)。1978年、テレビシリーズを再編集したものが『スパイダーマン プルトニウムを追え』(Spider-Man Strikes Back)の題でアメリカ合衆国以外でフィーチャー映画として公開された。1979年、同様にして『スパイダーマン ドラゴンの挑戦』(Spider-Man: The Dragon's Challenge)が公開された。1983年に『スーパーマンIII/電子の要塞』の興行成績が期待はずれに終わると、コミック業界が繁栄しているにもかかわらず、ハリウッドはコミックの映画化に消極的となった[4]
キャノン・フィルムズ

1985年、ロジャー・コーマンが持っていた『スパイダーマン』の短期間の契約オプションが切れると[5]マーベル・コミックキャノン・フィルムズと契約を交わした。キャノンの社長のメナヘム・ゴーランと彼の従兄弟のヨーラム・グローバスはマーベルコミックに5年間で22万5000ドルと映画の収益の一部を支払うことで合意した[6]。1990年4月までに映画が製作されない場合、権利はマーベルに戻ることになっていた[7]

まず『スペースインベーダー』と『悪魔のいけにえ2』を制作準備中であったトビー・フーパーへ監督の話が持ちかけられた。ゴーランとグローバスはキャラクターのコンセプトを勘違いしており(ジョセフ・ジトー(英語版)によると「彼らは狼男のようなものだと思い込んでいた」)[8]、その勘違いを反映した草案をレスリー・スティーヴンス(英語版)が執筆した。スティーヴンスのストーリーは、企業の科学者が写真家のピーター・パーカーに故意に放射線を浴びせ、毛むくじゃらで腕が8本あるタランチュラ人間となる内容であった[8][9]

マーベルのスタン・リーはコミックからの設定変更に不満を持ち、新しい脚本をテッド・ニューサムとジョン・ブランカトー(英語版)が執筆した[10]。この脚本ではピーター・パーカーは大学生で、オットー・オクタビアスがその先生である。だがサイクロトロンの事故によりスパイダーマンが「作り」出され、またオクタビアスもドクター・オクトパスとなり、第5の力を証明しようと狂気を起こしてしまう。オクトパスはサイクロトロンを再起動し、電磁異常、反重力の影響、ニューヨークと世界をのみ込む恐れがあるバイロケーションを引き起こそうとする。監督はトビー・フーパーに代わり、キャノンの映画『地獄のコマンド』を成功させたジョセフ・ジトーが務めることとなった[11]。ジトーは脚本書き直しのためにバーニー・コーエンを雇った。コーエンはアクションシーンを追加し、オクトパスには「Okey-dokey」というキャッチフレーズを与え、彼の目的を第5の力から反重力の研究に変更した。プロデューサーのゴーランも「ジョセフ・グッドマン」名義でコーエンが書き直した脚本に小さな要素を加えた。ジトーはアメリカ合衆国とヨーロッパの両方でロケ地とスタジオを探し、ハーパー・ゴフによりストーリーボードが監修された。キャノンは当時としてはかなり高額となる1500万ドルから2000万ドルの製作費を予定した[6]

キャスティングは確定していなかったが、ジトーは俳優でスタントマンでもあるスコット・レヴァ(英語版)に興味を示し、キャノンに彼を使ってプロモーション写真や広告を作った。また当時新規精鋭俳優だったトム・クルーズも主役に興味を示していた。ジトーはまたドクター・オクトパス役にはボブ・ホスキンスを検討した。さらにスタン・リーは『デイリー・ビューグル(英語版)』編集長のJ・ジョナ・ジェイムソンを自ら演じたいことを明かした[12]。他にローレン・バコールキャサリン・ヘプバーンがメイおばさん(英語版)役、ピーター・カッシングシンビオートの研究者役、アドルフ・シーザーが刑事役に検討されていた [10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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