スパイス・ガールズ
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年間7500万ドルの収益を上げ[17]1998年5月までに世界の総売上高は5?8億ドルと推定されている[16]。彼女たちの指導者でマネージャーのサイモン・フラー(英語版)のもと、スパイス・ガールズはマーチャンダイジングを受け入れ、イギリスと世界の報道機関の定期的な特集を組まれた。1996年、雑誌『トップ・オブ・ザ・ポップス(英語版)』は、各メンバーに愛称を与えた。『ローリング・ストーン』誌のジャーナリストで伝記記者のデイヴィッド・シンクレアによると、「スケアリー、ベイビー、ジンジャー、ポッシュ、スポーティ」は、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ以来、最も広く認識されているグループである[18]。「ガールパワー」現象で、スパイス・ガールズは1990年代の人気のある文化的アイコンとなった[7]。また、彼女たちは1990年代の第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの一部と見なされている[19]

2016年メル・Bエマ・バントンジェリ・ハリウェルが再会し、「スパイス・ガールズ - GEM」という新しいウェブサイトを立ち上げた[20]
来歴
1994年

3月、イギリスの雑誌『The Stage』が「18歳から23歳まででダンスができて歌が唄える女性」を募集した。この広告に約2000人の女性が応募し、「個性的で、ファンのみんながメンバーの誰かにあてはまる」ようなグループを目指し、メラニー・チズム、ヴィクトリア・アダムス、メラニー・ブラウン、ジェリ・ハリウェル、ミシェル・ステファンソンの5人の女性が選ばれた。当初のグループ名は「Touch」だった。6月、レコーディング中にメンバーのミシェルが乳がんになった母親の看病のためグループから離れることになり、エマ・バントンが新しくグループに加わった。10月にはツアー活動を始め、プロデュース・チーム、Absoluteと出会う。そこで、19 Managementというエンターテイメント会社のサイモン・フラーと出会う。
1995年

3月にはヴァージンとレコード契約。5人はイギリスメイデンヘッドで共同生活を送るようになり、ダンスレッスン、デモテープの制作に励んだ。10月にデビュー当時からのマネージャーを解雇(理由は「支配されすぎた」ということがあった)。また、同日にエリオット・ケネディをマネージャーに迎える。エリオットは新しいグループ名として新たに「スパイス (Spice)」と名付けた。しかし、すでにイギリスに同名のバンドがあったことと、すでにメディアが「Spice Girls」と表記するようになっていたことからグループ名は正式にスパイス・ガールズとなった。ここから1996年の夏まで、デビュー・アルバムのために曲を書いていた。
1996年

1996年7月8日、デビュー曲「ワナビー」をイギリスでリリース。またこの曲のミュージック・ビデオが音楽チャンネルを支配するようになった。1週目はチャート3位だったが、2週目には1位をマーク(7週連続)。日本ではフジテレビ系列で深夜に放送されていた音楽番組BEAT UK』ではUKシングルチャート・トップ20で初登場1位を獲得した。イギリスの音楽番組『Top Of The Pops』に出演し、同局の雑誌で、ヴィクトリアにはポッシュ(上品で気取った)・スパイス、メラニーCにはスポーティー・スパイス、メラニーBにはスケアリー(恐ろしい)・スパイス、エマにはベイビー・スパイス、ジェリにはジンジャー・スパイスというニックネームがつけられた。

「ワナビー」は世界31カ国でチャート1位となる。これは女性グループとしてだけではなく、デビュー曲としても記録的な売り上げと言われる。イギリスの歌手がアメリカ市場で人気を得るのは難しいが、この曲はビルボード・チャートで1週目で11位をマーク。ビートルズの12位の記録を塗り替えた。11月、アルバム『スパイス』をヨーロッパでリリース。7週間でイギリスだけで100万8,000枚を売り上げ、ビートルズの売り上げ記録を抜いてトップになる。トータルで300万枚を売り上げ、15週間アルバム・チャート1位をマークした。10月にはセカンド・シングル「セイ・ユール・ビー・ゼア」、12月には「トゥー・ビカム・ワン」をリリース。この2曲は53カ国で1位を記録した。特に「トゥー・ビカム・ワン」は、クリスマス・ソングとして大人気となった。デビュー・アルバム『スパイス』からの最後のシングルカットとして、「ママ / フー・ドゥ・ユー・シンク・ユー・アー」をリリース。これも、チャート1位となった。
1997年

デビュー・アルバムはヨーロッパで1997年に最高の売上(800万枚)となり、プラチナ・レコード(×8)に認定された。アメリカでもアルバム・チャート1位をマークし、同国でも1997年最も売り上げたアルバムとして、プラチナ・レコード(×7)に認定された。また日本でも100万枚以上を売り上げた[21]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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