彼女たちの成功を示すものとしては、国際的なレコード売上の記録、2007年から2008年の再結成ツアー(英語版)、前例のないマーチャンダイジング、ハリウェルが着用したユニオンジャックドレス(英語版)に代表される「ガールパワー」、映画『スパイス・ザ・ムービー』などが挙げられる。このグループは、これまでで最も成功したマーケティング・エンジンの1つとなった[16]。年間7500万ドルの収益を上げ[17]、1998年5月までに世界の総売上高は5?8億ドルと推定されている[16]。彼女たちの指導者でマネージャーのサイモン・フラー(英語版)のもと、スパイス・ガールズはマーチャンダイジングを受け入れ、イギリスと世界の報道機関の定期的な特集を組まれた。1996年、雑誌『トップ・オブ・ザ・ポップス(英語版)』は、各メンバーに愛称を与えた。『ローリング・ストーン』誌のジャーナリストで伝記記者のデイヴィッド・シンクレアによると、「スケアリー、ベイビー、ジンジャー、ポッシュ、スポーティ」は、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ以来、最も広く認識されているグループである[18]。「ガールパワー」現象で、スパイス・ガールズは1990年代の人気のある文化的アイコンとなった[7]。また、彼女たちは1990年代の第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの一部と見なされている[19]。
2016年にメル・B、エマ・バントン、ジェリ・ハリウェルが再会し、「スパイス・ガールズ - GEM」という新しいウェブサイトを立ち上げた[20]。 3月、イギリスの雑誌『The Stage』が「18歳から23歳まででダンスができて歌が唄える女性」を募集した。この広告に約2000人の女性が応募し、「個性的で、ファンのみんながメンバーの誰かにあてはまる」ようなグループを目指し、メラニー・チズム、ヴィクトリア・アダムス、メラニー・ブラウン、ジェリ・ハリウェル、ミシェル・ステファンソンの5人の女性が選ばれた。当初のグループ名は「Touch」だった。6月、レコーディング中にメンバーのミシェルが乳がんになった母親の看病のためグループから離れることになり、エマ・バントンが新しくグループに加わった。10月にはツアー活動を始め、プロデュース・チーム、Absoluteと出会う。そこで、19 Managementというエンターテイメント会社のサイモン・フラーと出会う。 3月にはヴァージンとレコード契約。5人はイギリスのメイデンヘッドで共同生活を送るようになり、ダンスレッスン、デモテープの制作に励んだ。10月にデビュー当時からのマネージャーを解雇(理由は「支配されすぎた」ということがあった)。また、同日にエリオット・ケネディをマネージャーに迎える。エリオットは新しいグループ名として新たに「スパイス (Spice)」と名付けた。しかし、すでにイギリスに同名のバンドがあったことと、すでにメディアが「Spice Girls」と表記するようになっていたことからグループ名は正式にスパイス・ガールズとなった。
来歴
1994年
1995年