スパイス・ガールズ
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スパイス・ガールズは世界中で8500万枚以上のレコードを売り上げた[8][9][10]商業的に最も成功を収めた女性グループであり[9][11]、彼女たちの登場はイギリスのポップ・カルチャー史においてビートルマニア以降で最大の出来事に数えられている[12][13][14]1990年代イギリスの大衆文化の中でも最も高い評価を受けており、雑誌『タイム』は1990年代半ばのイギリスの若者文化の祝典であるクール・ブリタニアに出演する中でスパイス・ガールズが「間違いなく最も顔と名前が知られている」グループと評価した[15]

彼女たちの成功を示すものとしては、国際的なレコード売上の記録、2007年から2008年の再結成ツアー(英語版)、前例のないマーチャンダイジング、ハリウェルが着用したユニオンジャックドレス(英語版)に代表される「ガールパワー」、映画『スパイス・ザ・ムービー』などが挙げられる。このグループは、これまでで最も成功したマーケティング・エンジンの1つとなった[16]。年間7500万ドルの収益を上げ[17]1998年5月までに世界の総売上高は5?8億ドルと推定されている[16]。彼女たちの指導者でマネージャーのサイモン・フラー(英語版)のもと、スパイス・ガールズはマーチャンダイジングを受け入れ、イギリスと世界の報道機関の定期的な特集を組まれた。1996年、雑誌『トップ・オブ・ザ・ポップス(英語版)』は、各メンバーに愛称を与えた。『ローリング・ストーン』誌のジャーナリストで伝記記者のデイヴィッド・シンクレアによると、「スケアリー、ベイビー、ジンジャー、ポッシュ、スポーティ」は、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ以来、最も広く認識されているグループである[18]。「ガールパワー」現象で、スパイス・ガールズは1990年代の人気のある文化的アイコンとなった[7]。また、彼女たちは1990年代の第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの一部と見なされている[19]

2016年メル・Bエマ・バントンジェリ・ハリウェルが再会し、「スパイス・ガールズ - GEM」という新しいウェブサイトを立ち上げた[20]
来歴
1994年

3月、イギリスの雑誌『The Stage』が「18歳から23歳まででダンスができて歌が唄える女性」を募集した。この広告に約2000人の女性が応募し、「個性的で、ファンのみんながメンバーの誰かにあてはまる」ようなグループを目指し、メラニー・チズム、ヴィクトリア・アダムス、メラニー・ブラウン、ジェリ・ハリウェル、ミシェル・ステファンソンの5人の女性が選ばれた。当初のグループ名は「Touch」だった。6月、レコーディング中にメンバーのミシェルが乳がんになった母親の看病のためグループから離れることになり、エマ・バントンが新しくグループに加わった。10月にはツアー活動を始め、プロデュース・チーム、Absoluteと出会う。そこで、19 Managementというエンターテイメント会社のサイモン・フラーと出会う。
1995年

3月にはヴァージンとレコード契約。5人はイギリスメイデンヘッドで共同生活を送るようになり、ダンスレッスン、デモテープの制作に励んだ。10月にデビュー当時からのマネージャーを解雇(理由は「支配されすぎた」ということがあった)。また、同日にエリオット・ケネディをマネージャーに迎える。エリオットは新しいグループ名として新たに「スパイス (Spice)」と名付けた。しかし、すでにイギリスに同名のバンドがあったことと、すでにメディアが「Spice Girls」と表記するようになっていたことからグループ名は正式にスパイス・ガールズとなった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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