ステッペンウルフ
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彼らは1960年代に熱狂的なファンの支持を得て、現在までに全世界で2,500万枚以上のアルバムの売り上げを記録している[7]
歴史

ステッペンウルフは、元々トロントのブルース・バンド「ザ・スパロウズ」として活動していた。このバンドは1964年に結成され、トロントのヨークヴィル地区にあるコーヒー・ハウスで演奏していた。1967年に彼らはサンフランシスコに移住し、ブルースロックサイケデリアおよびフォークミュージックが混合されたエネルギッシュな音楽を演奏した。ロサンゼルスダンヒル・レコードのプロデューサーであったガブリエル・メイラーは彼らに、より強烈なビートのバンドの編成を提案し、ヘルマン・ヘッセの1927年の小説名からとって、彼らをステッペンウルフと名付けた[2]

デビュー・アルバム『ワイルドでいこう! ステッペンウルフ・ファースト・アルバム』のレコーディング中に、ベーシストがラシュトン・モーヴからジョン・ラッセル・モーガンへ交代している。ステッペンウルフは、デビュー・アルバムからシングルカットされた3枚目のシングル「ワイルドでいこう!」と、ホイト・アクストンの楽曲のカバーである「ザ・プッシャー」の2曲が映画『イージー・ライダー』の作中で用いられたことにより、世界規模の知名度を得た。「ワイルドでいこう!」は、ジェリー・エドモントンの兄で、ザ・スパロウズ時代およびステッペンウルフ時代初期のリードギタリストであったデニス・エドモントンによって制作された。デニスはソロ活動を行うためにステッペンウルフを脱退し、マーズ・ボンファイヤー(Mars Bonfire)名義で活動した。「ワイルドでいこう!」はチャート2位を記録した。この曲は、ロックの歌詞に「ヘヴィメタル」という言葉を織り込んでいる(実際には、この言葉は音楽のジャンルではなくバイクを表している)。

この曲に続いていくつかのヒットソングが発表された。例を挙げると、セカンド・アルバム『ザ・セカンド』収録の「マジック・カーペット・ライド」(チャート3位)、サード・アルバム『ステッペンウルフとバースデイ・パーティー』収録の「ロック・ミー」(Rock Me、チャート10位)などである。2枚組アルバム『ライヴ』について、ジョン・ケイは自叙伝『Magic Carpet Ride』で個人的にこのアルバムが嫌いであると述べている。

保守派のニクソンが大統領だった時代のアメリカを批判するアルバム『モンスター』と、『ステッペンウルフ・7』の2作品は、バンドの最も政治色の強いアルバムである。

ステッペンウルフは1971年、同じく政治的コンセプトのアルバム『フォー・レディズ・オンリー』のリリース後、1972年のバレンタインデーに突然活動休止を発表。ケイはソロ活動に移行する。1974年にはステッペンウルフが再結成されてアルバム『スロー・スラックス』をリリース、収録曲「ストレート・シューティン・ウーマン」(Straight Shooting Woman)が小規模なヒットを記録した後、1976年に再度解散。1977年から1980年にかけてはツアーのための再結成が行われ、かつてのメンバーであるニック・セント・ニコラス、ゴルディ・マックジョン、ケント・ヘンリー、ラシュトン・モーヴなどを起用したさまざまな形態で活動を行ったが、ケイ本人は参加しなかった。フィル・スペクターのプロデュースにより新しいスタジオ・アルバムが1978年に企画されたが、断念された。別のアルバム『The Night Of The Wolf』は1979年に録音が行われたものの、リリースされなかった。さらに3番目のアルバムが1980年に録音されたが、法的手段によって中止させられた。ケイの自叙伝によると、新たなステッペンウルフは結局、元のバンドの殻に過ぎないと分かり、バンドの評判が低下してしまう原因となった。数件の訴訟が起こされ、バンドの名を守るためにジョン・ケイは1980年代初頭に新たな形態のステッペンウルフを結成し、ジョン・ケイ・アンド・ステッペンウルフ名義でツアー活動を行うようになった。2001年にはソロ・アルバムもリリースしている。

2019年11月22日、ジョン・ケイはバンドの2018年10月14日のライブが最後の公演であると発表した[8]
メンバー
創設メンバー

画像名前担当楽器在籍期間
ジョン・ケイ(英語版)
(John Kay)リード・ボーカル
リズムギター
ハーモニカ1967年 - 1972年
1974年 - 1976年
1980年 - 2018年
マイケル・モナーク(英語版)
(Michael Monarch)リードギター
バッキング・ボーカル1967年 - 1969年
ラシュトン・モリーブ(英語版)
(Rushton Moreve)ベース
バッキング・ボーカル1967年 - 1968年
(※1981年没)
ジェリー・エドモントン(英語版)
(Jerry Edmonton)ドラムス
パーカッション
バッキング・ボーカル1967年 - 1972年
1974年 - 1976年
(※1993年没)
ゴルディ・マックジョン(英語版)
(Goldy McJohn)鍵盤楽器
バッキング・ボーカル1967年 - 1972年
1974年
(※2017年没)

最終メンバー


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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