スティーヴ・ディッコ
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かつて救えなかった伯父と、守ると誓った伯母の幻までが彼を襲う」と書いている[35]。コミック作家ピーター・デイヴィッド(英語版)は、「オリジン(誕生回)を除けば、『アメイジング・スパイダーマン』第33号のこの2ページは、おそらくスタン・リー/スティーヴ・ディッコ期でもっとも愛されているシーンだ」という所感を述べている[36]。スティーヴ・サフェルは「ディッコが『アメイジング・スパイダーマン』第33号で描いたページ一杯の大ゴマは、シリーズの歴史を通しても際立って迫力あるもので、後年まで原作者や作画家に影響を与え続けた」と述べた[37]。マシュー・K・マニングは「リーによるこのストーリーの冒頭数ページにディッコが描いたイラストレーションは、スパイダーマンの歴史を象徴するシーンの一つとなった」と書いた[38]。このストーリーはまた、2001年にマーベル読者が選ぶベスト100号[† 3] の第15位を占めた。その編集者ロバート・グリーンバーガー(英語版)はストーリー紹介として「冒頭の5ページは現代のシェイクスピアだ。[主人公の]パーカーの独白が次のアクションへの期待を高めていく。ディッコは劇的なテンポと語りにより、あらゆるコミックの中でも抜きんでて偉大なシークエンスを作り出したのだ」と書いた[39]。このシークエンスは2017年の映画『スパイダーマン:ホームカミング』でも引用されている[40]
ドクター・ストレンジ、その他のキャラクター

インクレディブル・ハルク』最終号(第6号、1963年3月)の作画を行ったのに続いて、『ストレンジ・テイルズ』第110号(1963年7月)で魔術師ヒーローのドクター・ストレンジを作り出した[41][42][43]。ディッコとリーはその後しばらくして、アンソロジー誌『テイルズ・トゥ・アストニッシュ』第60号(1964年10月)で短編連載としてハルクを復活させた。ディッコはインカーのジョージ・ルーソスと組んで第67号(1965年5月)までペンシラーを務めた。第62号(1964年12月)ではハルクの宿敵リーダーをデザインした。

ディッコは『テイルズ・オブ・サスペンス』誌で連載されていたアイアンマンのペンシルを第47号から第49号まで(1963年11月?1964年1月)担当した。インカーは各号で異なる。第47号では、現行の配色でもある赤と金のアイアンマン・アーマーの初期版が登場した。ただしそれをデザインしたのがディッコなのか、あるいはメインのキャラクターデザイナーで表紙のペンシルも描いていたジャック・カービーなのかは明らかになっていない。

『アメイジング・スパイダーマン』での業績に隠れがちではあるが、「ドクター・ストレンジ」におけるディッコの作画も同程度に高く評価されてきた。そのシュルレアルで神秘的な世界像と、どんどんサイケデリックになっていく表現は大学生の人気を集めた。「ドクター・ストレンジの読者は、マーベル関係者は「ヘッド(麻薬常用者)」ばかりだと思い込んでいた」と、当時アシスタント・エディターでドクター・ストレンジの原作を書いたこともあるロイ・トーマス(英語版)は1971年に語っている。「そういう人たちは、自分でもマッシュルームをキメて似たような体験をしていたからね。でも … 私は幻覚剤をやらないし、アーティストたちもやっていないと思うよ」[44]

やがてリーとディッコは、ストレンジをいっそう抽象的な方向に押し進めることになる。『ストレンジ・テイルズ』第130号から146号まで(1965年3月 ? 1966年7月)の17号にわたる壮大なストーリーで、リーとディッコは宇宙的な存在であるエターニティ(英語版)を登場させた。エターニティはこの世界そのものの化身であり、宇宙空間を輪郭で囲ったような姿を持つ[45]。歴史家ブラッドフォード・W・ライトは以下のように説明する。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}スティーヴ・ディッコが同作で行った作画は彼としてもシュルレアルの極で、幻覚体験を与えるようなものだった。ドクター・ストレンジが冒険するのは、サルバドール・ダリの絵画にも似た、奇怪な世界やねじくれた次元である。… スタン・リーが子供時代に読んだパルプ小説の魔術師や同時代のビートニク文化から生まれたドクター・ストレンジは、若者のカウンターカルチャーが東洋神秘主義やサイケデリックに傾倒していく流れを見事に先取りしていた。


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