スティーヴ・ディッコ
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ディッコが自身でペンシルとインクを行った第3作 "A Hole in His Head" は、サイモンとカービーのクレストウッド社(英語版)のインプリントであるプライズ・コミックスが出していた Black Magic 第4シリーズ3号(1953年12月)に掲載された[14]

後年まで続くチャールトン・コミックスとの関係はこのころに始まった。コネチカット州ダービーに位置するチャールトンは、歌詞の雑誌で知られる出版社の低予算部門だった。第1作となったのは The Thing! 第12号(1954年2月)で、ディッコは表紙のほか8ページの吸血鬼もの "Cinderella" を描いた。同社ではその後、1986年の倒産まで断続的にSFホラーミステリ作品を描き続けることになる。また Space Adventures 第33号(1960年3月)では原作者ジョー・ギルとともにキャプテン・アトム(英語版)を生み出した[15]

1954年の半ば、結核を患ったためチャールトンでの活動ばかりかコミックの仕事一切を休止してジョンズタウンの実家で療養した[16]
マーベル・コミックス

健康を取り戻したディッコは1955年末にニューヨークに戻り[16]、マーベル・コミックスの前身であるアトラス・コミックスで仕事を始めた。『ジャーニー・イントゥ・ミステリー(英語版)』第33号(1956年4月)に掲載された4ページ作品 "There'll Be Some Changes Made" がアトラスでのデビュー作となった。同作はマーベルの Curse of the Weird 第4号(1994年3月)に再録されている。アトラス/マーベルでは『ストレンジ・テイルズ(英語版)』をはじめ、新しく創刊された『アメイジング・アドベンチャーズ(英語版)』、『ストレンジ・ワールズ(英語版)』、『テイルズ・オブ・サスペンス(英語版)』、『テイルズ・トゥ・アストニッシュ(英語版)』で盛んに作品を発表し、多くの名作を残すことになった。これらの雑誌の多くはカービーのモンスター物で始まり、ドン・ヘック(英語版)やポール・リーンマン(英語版)、ジョー・シノット(英語版)らが落ちの効いたスリラーやSFを1・2編描き、ディッコと原作・編集のスタン・リーによるシュールな、ときに内省的な短編が最後を締めくくった[17]

リーとディッコの短編は非常な人気を集めたため、『アメイジング・アドベンチャーズ』誌は第7号(1961年12月)から路線を変更して同種の作品だけを載せるようになり、『アメイジング・アダルト・ファンタジー』と改名した。この名は「洗練された」作風を表そうとしたもので、キャッチフレーズも "The magazine that respects your intelligence"(知的な君たちのための雑誌)とされた。リーが2009年に回想するところでは、「当時よく思いついた、オー・ヘンリー風の結末をつけた奇妙な空想話」をディッコとともに「5ページの短い穴埋めコミック・ストリップ」に仕上げ、「わが社のコミックブックでページが余れば何にでも」載せたという。リーによればそれらの作品は、後に「マーベル・メソッド」と呼ばれるようになる制作体制(ライターがプロットを考え、作画家がそれをもとにコマ割りと作画を行い、最後にライターがセリフやナレーションを付ける)の草分けだった。「スティーヴにプロットを軽く説明すれば、あとは彼が全部やってくれた。私が伝えた大ざっぱな骨格から一流のコミック作品を生み出してくれる。私なんかが考えていたものよりはるかに出来のいいものを」[18]
スパイダーマンの誕生

マーベル・コミックスの総編集長だったスタン・リーは「スパイダーマン」という名で「普通の若者」のスーパーヒーローを新しく登場させようと考え、発行人マーティン・グッドマン(英語版)から許可を得た上で[19]、マーベルの中でも指折りの作画家だったジャック・カービーに共作を持ちかけた。カービーはリーに答えて、自身も1950年代にシルバー・スパイダーかスパイダーマンという名のヒーローを構想していたと告げた。魔法の指輪から超能力を得た孤児の少年のキャラクターだった。コミック史家グレッグ・シークストンによれば、二人はその場でストーリー会議を始めた。話がまとまると、リーはカービーにキャラクターを仕上げて何ページか描いてみるよう指示した。翌日か翌々日にカービーが見せたストーリーの冒頭6ページについて、リーは「描き方が気に入らなかった。下手だったわけじゃないが…私が考えていたキャラクターじゃなかった。ちょっとヒーローらし過ぎた」と回想している[20]。ディッコは以下のように述べている。「スタンがカービーの原稿を見せてくれたけど、実際に出たスパイダーマンとは全然違うものだった。だいたい、スパイダーマンが描かれていたのはスプラッシュ(第1ページ)と、ウェブ・ガンを持ってジャンプしてくる最後のシーンだけだった。… 最初の5ページで描かれていたのは、家の中で主人公の男の子が魔法の指輪を見つけてスパイダーマンになるシーンだった」[21]

カービーに代わってディッコが描いたキャラクタービジュアルはリーを満足させた[22]。ただし、リーは後にディッコの表紙画を没にしてカービーのペンシルによる絵と入れ替えた。ディッコは1990年にスパイダーマンのデザインについて以下のように回想している。「まずやったのはコスチュームだ。外見はキャラクターにとって重要な部分だ。どんな格好にするか決めないと … ブレークダウン(ネーム)に取りかかれない。壁に貼りつく能力があるなら堅い靴やブーツはやめようとか、袖に隠れるリストシューターとホルスターに収めるウェブ・ガンのどっちにするかとか。… スタンが気に入るかはわからなかったが、顔が完全に隠れるマスクにした。顔が見えると子供だってことが一目瞭然だからね。謎めいた雰囲気も出るし」[23]

リアルタイムでのディッコの証言は希少だが、Comic Fan 第2号(1965年夏)ではゲイリー・マートンによる書面インタビューの中で、リーとの分担について「スタン・リーがスパイダーマンという名前を思いついた。コスチュームのデザインと、手首に仕込んだウェブ発射機やスパイダー・シグナルは私だ」と説明している。このときのディッコは「もっといい仕事が出てこない限り」スパイダーマンを描き続けるつもりだと語っていた[24]

スパイダーマンを作り出した時期のディッコは、美術学校以来の友人で著名なフェティッシュ・アーティストのエリック・スタントン(英語版)と共同でスタジオを構えていた[† 2]。スタントンは1988年のインタビューの中で、スパイダーマンの創造に自分はほとんど何の貢献もしていないと言いつつも、ディッコとともに第1号のストーリーボード(絵コンテ)作成を行ったことを語っている。「私もいくつかアイディアを出した。でも全体としてはスティーヴが自分で創りだしたものだ … 手首からウェブを撃つ仕掛けは私が考えたんだったかな」[26]

スパイダーマンが初めて印刷されたのはSF・ファンタジーのアンソロジー『アメイジング・ファンタジー(英語版)』の終刊号(第15号、1962年8月)だった。この号がトップセラーとなったことで、スパイダーマンは個人誌『アメイジング・スパイダーマン』を獲得した[27][28]。リーとディッコは同誌で共作を続け、スパイダーマンの代表的な敵役となるキャラクターを次々に生み出していった。第3号(1963年7月)ではドクター・オクトパス[29]、第4号(同年9月)ではサンドマン[30]、第6号(同年11月)ではリザード[31]、第9号(1964年3月)ではエレクトロ[32]、そして第14号(同年7月)ではグリーンゴブリンが誕生した[33]。ディッコはやがて、自身が作画と同時にプロット作成にも関与していること(マーベル・メソッド)をクレジットに反映させるよう要求した。リーはこれを認め、第25号(1965年6月)からディッコがプロット作成としてもクレジットされるようになった[34]

リー=ディッコ体制の『アメイジング・スパイダーマン』の中でも、三話構成のストーリー "If This Be My Destiny...!" の結末である第33号(1966年2月)は名作として知られている。この号には、大きな機械の下敷きとなったスパイダーマンが意志力と家族への思いを振り絞って脱出を果たす劇的なシーンがあった。コミック史の著作を持つレス・ダニエルズは「スティーヴ・ディッコはここで、スパイダーマンの窮地をこの上ない苦しみとして描いている。かつて救えなかった伯父と、守ると誓った伯母の幻までが彼を襲う」と書いている[35]。コミック作家ピーター・デイヴィッド(英語版)は、「オリジン(誕生回)を除けば、『アメイジング・スパイダーマン』第33号のこの2ページは、おそらくスタン・リー/スティーヴ・ディッコ期でもっとも愛されているシーンだ」という所感を述べている[36]。スティーヴ・サフェルは「ディッコが『アメイジング・スパイダーマン』第33号で描いたページ一杯の大ゴマは、シリーズの歴史を通しても際立って迫力あるもので、後年まで原作者や作画家に影響を与え続けた」と述べた[37]。マシュー・K・マニングは「リーによるこのストーリーの冒頭数ページにディッコが描いたイラストレーションは、スパイダーマンの歴史を象徴するシーンの一つとなった」と書いた[38]。このストーリーはまた、2001年にマーベル読者が選ぶベスト100号[† 3] の第15位を占めた。


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