第二次世界大戦中、中学時代のディッコは、民間対空監視員が用いるドイツ航空機の木製模型をほかの生徒とともに作製した[4]。1945年にジョンストン・ハイスクールを卒業すると[4]、同年10月26日に陸軍に入隊し[3]、終戦後のドイツで兵役に就くかたわら軍機関紙にコミックを発表した[4]。 除隊後、崇拝していたバットマンの作画家ジェリー・ロビンソン
アーティストとしての経歴
プロデビュー前後
1953年初頭、ブルース・ハミルトンの原作によるSF作品 "Stretching Things" で初めてプロとしてコミックブックの作画を行った。同作はキー・パブリケーションズ(英語版)のインプリントであるスタンモーのために描かれたが、スタンモーからエイジャックス-ファレル(英語版)社に売却され、Fantastic Fears 第5号(発行日表示1954年2月)でようやく日の目を見た[9][10]。実際に出版されたのはプロ第2作となる6ページの短編 "Paper Romance" の方が先だった。同作はキー社の別のインプリントであるギルモー・マガジンズが発行する Daring Love 第1号(1953年10月)に掲載された[9][11]。
ほどなくしてディッコはジョー・サイモンとジャック・カービーのスタジオに職を見つけた。二人はいずれも原作者兼作画家で、すでにキャプテン・アメリカなどのキャラクターを生み出していた。背景のインク(ペン入れ)担当として仕事を始めたディッコは、以前から尊敬していたモート・メスキンと同僚になり、絵を学ぶようになった。「メスキンは素晴らしかった」とディッコは回想している。「あんな絵を易々と描けるなんて信じられなかった。構図は力強く、ラフなペンシル画でも完成されていて、ごちゃごちゃさせずにディテールを描く。本当に好きだった」[12] ディッコがアシスタントとして関わったことが確定している作品には、カービーがペンシル(下絵)を描き、メスキンがディッコとともにインカーを務めた Captain 3-D 第1号(1953年12月、ハーヴェイ・コミックス(英語版))がある[13]。ディッコが自身でペンシルとインクを行った第3作 "A Hole in His Head" は、サイモンとカービーのクレストウッド社(英語版)のインプリントであるプライズ・コミックスが出していた Black Magic 第4シリーズ3号(1953年12月)に掲載された[14]。