スティーブ・ジョブズ
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しかし、スコットも譲らなかったため、最終的にジョブズは社員番号0を与えてもらうことで妥協した[95][注釈 3]

Apple Iの後継機種である「Apple II」は、1977年4月16 - 17日に開催された第1回「ウェスト・コースト・コンピュータ・フェア」で初めて発表され、その後希望小売価格1,298ドルで発売された[97][98][注釈 4]。むき出しの基板(マザーボード)として販売されたApple Iとは大きく異なり、Apple IIは基板やキーボード、電源装置などが一体化された筐体であり、テレビ等の外部ディスプレイを接続すればすぐにコンピュータとして使用することができたほか、ディスプレイにカラー表示することが可能なのも大きな特長だった[100][98]

Apple IIは1980年には10万台、1984年には200万台を超える売り上げで、莫大な利益をAppleにもたらした。1980年12月12日、Appleは新規株式公開(IPO)を行い、自動車会社フォード1956年に行ったIPO以来最高となる資金調達額を記録した[101][102]。このIPOにより、750万株を持つジョブズは約2億5,600万ドルの個人資産を手に入れた[103][104]
LisaとMacintosh[ソースを編集]Apple LisaMacintosh 128K(1984年-)Adobeへの出資を決めた頃のスティーブ・ジョブズとAdobe共同創業者のチャールズ・ゲシキジョン・ワーノック(1982年12月)

1981年IBMIBM PCを発売し、パーソナルコンピューター市場へ参入した。次第にApple IIはシェアを奪われてゆき、新しい製品が待望されるようになった。1978年、Apple IIを打ち破る次世代パーソナルコンピューターとして、Lisa(リサ)・プロジェクトが立ち上げられた。

1979年ゼロックスからの出資を受け入れる交換条件として、ジョブズの要請により当時ゼロックス管轄の研究所であったパロアルト研究所見学が行われた。その際、ビットマップディスプレイとマウスを前提とする「Alto」で、GUIを実現した「暫定ダイナブック環境」(開発者のアラン・ケイらは、SmalltalkをOSとして動作するAltoをこう呼称した)のデモに大きな衝撃を受けたジョブズは、開発中のLisaに、これと同じ機能を持たせることを考え、自らプロジェクトを率いていくこととなった。Lisaのための最初のAppleマウスは、ジョブズとデビッド・ケリー、ジム・ユルチェンコ[105]によりデザインされた。また、そのデザインプロセスがデザイン思考IDEO誕生のきっかけとなったとデビッド・ケリーがインタビューで答えている[106]

1979年、Appleに入社したジェフ・ラスキンは、Apple IIが一般向けには複雑すぎると考えていた1人だった。ラスキンはカリフォルニア大学サンディエゴ校での教え子であったビル・アトキンソンを雇い、Apple IIのメンテナンス担当だったビュレル・スミスなど数人で、1979年にMacintoshプロジェクトを開始する。


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