Appleの共同創業者の一人であり、同社のCEOを務め[16]、一切の妥協を許さないカリスマ的変革者として知られる[17][18][19]。NeXTやピクサー・アニメーション・スタジオの創業者でもあり、ウォルト・ディズニー・カンパニーなどの役員を歴任した。AppleUなどによりパーソナルコンピュータ(パソコン)の概念を市場に普及させ[20]、iPodとiTunes及びiTunes Storeによって音楽業界に変革をもたらし[21]、iPhoneおよびiPadを世に送り出したと評された[16]。
略歴[ソースを編集]
1976年、ジョブズは友人のスティーブ・ウォズニアックが自作したマイクロコンピュータ「Apple I」を販売するために起業することを決意し、同年4月1日にウォズニアックおよびロナルド・ウェイン(英語版)との共同で「Apple Computer Company(アップルコンピュータ・カンパニー)」を創業した[22][23][24]。Apple Computer(以下Apple)が1977年に発売した「Apple II」は商業的な大成功を収め[25][26]、パーソナルコンピュータという概念を世間一般に浸透させた[27]。Appleはシリコンバレーを代表する企業に急成長を遂げ、ジョブズは1980年12月のApple IPO時に2億5,600万ドルもの個人資産を手にし[28]、1982年2月には『タイム』誌の表紙を飾るなど若くして著名な起業家となった[29]。
その後、ジョブズは先進的なGUIやマウスを持つコンピュータ「Macintosh」の開発を主導した[30][31]。1984年に発表されたMacintoshはマスコミから絶賛され当初は売れ行きも良く、ジョブズの名声を高めたが、発売から数カ月後には深刻な販売不振に陥り、Apple社内でのジョブズの地位を危ういものにした[32][33]。1985年5月、ジョブズはCEOのジョン・スカリーによって全ての業務から解任されて閑職へと追いやられ、同年9月にはAppleを去った[34][33]。
Apple退職後、ジョブズはルーカスフィルムのコンピュータ・アニメーション部門を1,000万ドルで買収し、ピクサー・アニメーション・スタジオを設立した。また、自ら創立したNeXT Computerで、NeXTワークステーション(NeXTcube, NeXTstation)とオペレーティングシステム(OS)NEXTSTEPを開発を指揮・主導した[35]。
1996年、業績不振に陥っていたAppleにNeXTを売却すると同時に復帰、1997年には、iCEO(暫定CEO、Interim CEOの略)となる。同年には、不倶戴天のライバルとさえされていたマイクロソフトとの提携と、同社からの支援を得ることに成功し、また社内ではリストラを進めてAppleの業績を向上させた。