スティーブン・ハッサン
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職業心理学者[1]、精神的自由資料館長、カルト・人身取引対策相談員[2]、著述家、講師
国籍アメリカ人
ジャンルノンフィクション
主題心理学マインドコントロール
配偶者ミージア・ランドー
公式サイトfreedomofmind.com
ウィキポータル 文学
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スティーブン・アラン・ハッサン(Steven Alan Hassan、1954年-)は、アメリカの心理学者[1]マインドコントロールの専門家。現在の世界平和統一家庭連合による被害体験を経て1976年よりカルト対策に取り組み、悪質な新興宗教などの多くの被害者の救済に当たってきた。スティーヴンとも。
人物

ハッサンは1953年ごろにユダヤ系の家庭に生まれた[3][4]ニューヨーク州クイーンズ出身、2020年末時点ではマサチューセッツ州ニュートン在住[5]

ハッサンは、クイーンズ・カレッジで学位取得を目指していた19歳の時に、統一教会に騙されて勧誘され[6]、27ヶ月間会員として過ごした[7][8]。ハッサンは統一教会の勧誘、資金調達、政治運動に関与していた。彼はまた、教会の全国本部で副部長の地位まで上り詰め、文鮮明ともたびたび面会した[7][9]

統一教会で過ごした期間、ハッサンは教団関連施設に住み、睡眠時間は4時間以下しかなかったと証言している。当時はニューヨークの街頭で生花売りの経済活動を行っていた[10]。ハッサンは当時、リチャード・ニクソン大天使だと信じており、ウォーターゲート事件では、他の統一教会のメンバーとともに「大統領への忠誠を証明する」ために祈りと断食に参加したと証言した[6]。 ハッサンは銀行口座を統一教会に明け渡し、大学や仕事をやめて教会のために働いていたとも証言している。また、ハッサンは「自分は文鮮明のために死も殺人も厭わなかった」と証言した[10]

1976年、ハッサンは2日間寝ずに働き、募金活動のためにバンを運転中、疲労が蓄積して居眠りをし、自動車事故を起こし、入院を余儀なくされた。両親はハッサンのためにカウンセラーを雇い、ディプログラミングによって組織から離れるように説得された[7][10]。その後、ハッサンは最初の妻と結婚したが1989年に離婚し、彼女は1991年に死亡した[10] 。統一教会を離れた後、ユダヤ教に戻った[4]。マサチューセッツ州ブルックラインのシナゴーグで活動している[10]。二度目の結婚をして、息子を設けた[5]
カルトの専門家として

ハッサンは1985年ケンブリッジ大学を卒業し、カウンセリング心理学の修士号を取得している[11]。ハッサンは催眠術を学び、アメリカ臨床催眠学会[12]と国際催眠学会のメンバーである[8][11]。ハッサンはハーバード大学の法医学専門家のシンクタンクである「精神医学と法律のプログラム」のメンバーである[13]。2017年にはハーバード大学医学部の精神科研修プログラムの精神科症例検討会で講師を務め、ハーバード大学医学大学院の研修病院であるブリガム・アンド・ウィメンズ病院で4年生の精神医学の講師を17年間担当した[13][14][11][15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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