スティーブン・スピルバーグ
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1975年に公開された『ジョーズ』は、それまでの『ゴッドファーザー』の記録を破り、1977年に『スター・ウォーズ』に抜かれるまで世界歴代興行収入1位を記録する大ヒットとなり、一流監督の仲間入りを果たす。その年のアカデミー賞では作品賞にノミネートされ、作曲賞を含む3部門で受賞したが、自身の監督賞ノミネートは逃した。しかし、2年後に公開された『未知との遭遇』ではノミネートを獲得し、同年に『スター・ウォーズ』という同ジャンルの映画が公開されていたにも関わらず、埋没することなく興行的にも成功を収めた。
1980年代

初期の頃は、娯楽映画で評価を得ていたが、やがて様々なジャンルの映画を手がけるようになる。1作目が1981年、2作目が1984年、3作目が1989年に公開された、考古学教授でありトレジャーハンターの大冒険を描いた『インディ・ジョーンズ』シリーズも大ヒットとなった。1982年に公開された、不恰好だが愛くるしい宇宙人と子供たちとの交流を描いたファンタジー作品『E.T.』では、2度目の世界歴代興行収入1位を記録。

1985年には『カラーパープル』で初めてシリアスな作風に挑戦し、第58回アカデミー賞には作品賞を含む10部門11候補にあがったが、無冠に終わっている。無冠の候補数としては史上最多記録である。

また1980年頃より、自ら監督を務めない作品でも、プロデューサーとして名を連ねることが多くなった。ただし、必ずしも製作指揮をとっていたわけではなく、製作資金を確保するために名前を貸したケースも多く、その中には興行的に失敗した作品も少なくない(詳細は#製作総指揮作品を参照)。
1990年代

1993年には『ジュラシック・パーク』を大ヒットさせ、3度目の世界歴代興行収入1位を記録。1997年に『タイタニック』に破られるまで続いた。同年のアカデミー賞では、ホロコーストを描いた『シンドラーのリスト』で作品賞監督賞を受賞する。スピルバーグは、この作品の製作に意欲的で報酬を断っている。また映画製作と並行し、ホロコーストの生存者が存命のうちに証言を映像で記録し、収集保管を趣旨とする「Survivors of the Shoah Visual History Foundation」(ショアー生存者映像歴史財団)の創設準備に取りかかり、5万人の証言を集めることを当初目標にかかげる[5]

1994年ドリームワークスを設立。1998年の第71回アカデミー賞では、第二次世界大戦におけるノルマンディー上陸作戦を舞台に兵士達の過酷な運命を描いた『プライベート・ライアン』で、2度目のアカデミー監督賞を受賞する。1999年4月に南カリフォルニア大学のロバート・ゼメキス・センターに50万ドルを寄付した。
2000年代

2001年英国王室エリザベス2世)より、ナイト爵を授与された。ホロコーストの生存者・目撃者の証言映像作成と収集活動をスピルバーグが評議員を務めた南カリフォルニア大学に移管、非営利団体「南カリフォルニア大学財団映像歴史教育研究所」としてカリフォルニア州で法人登記が行われる[6]

ドリームワークスの経営者としての活動が多くなり、監督作品を出すペースもやや遅くなりつつある一方でプロデューサー(製作総指揮)としての活動が盛んになり、『トランスフォーマー』や『イーグル・アイ』で大ヒットを飛ばす。3年ぶりの監督作であり19年ぶりの続編となる『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』では興行的には成功したものの、ゴールデンラズベリー賞最低リメイク及び続編賞を受賞する不名誉な結果となった。
2010年代

2011年には、第一次世界大戦を舞台とした演劇の映画化である『戦火の馬』と、自身にとっては初の3Dアニメーション映画となった『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』が公開。前者ではアカデミー作品賞にノミネートされ、後者ではゴールデングローブ賞 アニメ映画賞を受賞。この頃、パラマウント映画との関係が悪化するなどで契約上のトラブルが多くなり、長年温めている企画であるエイブラハム・リンカーンの映画も制作に取り掛かるまでに時間を要したが、2011年秋にようやく撮影を開始し、2012年に『リンカーン』が完成。第85回アカデミー賞では最多ノミネートを記録し、主演を務めたダニエル・デイ=ルイスアカデミー主演男優賞を受賞。自身の監督作品の中では初の演技部門での受賞となった。

2013年2月には第66回カンヌ国際映画祭の審査委員長に就任し、5月15日から26日の間で審査員長を務めた。「映画が世界共通の言語であることを長年に渡って証明し続けてきた、最も権威ある映画祭の審査委員長を務めることを大変光栄に思っている」と語っている。

2015年、大統領自由勲章を受章[7]。同年12月には、新映画会社アンブリン・パートナーズを設立。パーティシパント・メディア、インドのリライアンス・グループ、カナダのメディア企業エンターテイメント・ワンと共同で創設し、アンブリン・エンターテインメント、ドリームワークス、パーティシパント・メディアの3つのレーベルを用いて映画やテレビ、デジタルコンテンツを製作している。

2016年には『BFG: ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』では初めてディズニーで映画を制作した。
2020年代

2021年に同名ミュージカル映画のリメイク作品『ウエスト・サイド・ストーリー』、2022年に初の自伝的作品『フェイブルマンズ』を監督。両作品ともアカデミー作品賞監督賞に2年連続でノミネートされ、ゴールデングローブ賞では2年連続で作品賞を受賞した。

2023年には長年シリーズを監督してきたインディ・ジョーンズ シリーズの最新作『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』が公開。監督は新たにジェームズ・マンゴールドに託し、自身は製作を務めた。
受勲・名誉賞「:en:List of awards and nominations received by Steven Spielberg」も参照コーエン国防総省長官(当時)から功労賞を受けるスピルバーグ。1999年ハリウッド名誉の小道にあるスピルバーグの記念盤グローマンズ・チャイニーズ・シアター前に残るスピルバーグの手形と足形元アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンからフィラデルフィア自由勲章(英語版)を授けられる。(2009年)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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