1977年にバンド「ポリス」を結成し、ベーシスト兼ボーカルとして活躍した。ポリス活動休止後はソロ・アーティストに転じ、グラミー賞など数々を受賞。俳優としても知られている。ポリス在籍期とソロ活動のアルバムの売り上げは一億枚を超えている。
妻は女優トゥルーディー・スタイラー(英語版)、息子はフィクション・プレイン(英語版)のボーカル担当ジョー・サムナー(英語版)、娘は歌手・俳優・モデルのエリオット・サムナー(英語版)(デビュー時の名はアイ・ブレイム・ココ(I Blame Coco))[6]。
身長181cm。
来歴ポリス - 再結成時のグループショット (2008年6月)ギターを弾くスティング (2006年6月)
ニューカッスルのカトリック系男子校、セント・キャスバート・グラマー・スクールを卒業後、ウォーリック大学に通っていたが卒業はしていない。なお実家は牛乳屋であり、兄が継いでいる。1971年から1974年の間、イングランド北部教員養成大学(現ノーザンブリア大学)に通い、卒業後はニューカッスル北部にあるセント・ポール小学校の美術教師として5歳から9歳までの児童を受け持った。「高校教師」という邦題の曲のために高校教師だったと誤解されることが多いが[要出典]、この歌は教育実習で15歳の生徒を担当した経験を元にしたものである(ただし、実体験を表したものではなく、彼によると、人気絶頂のロック・スターと若い女性ファンとの関係を暗喩として表したもの[7])。
ビートルズ[8][9]、キンクス[9]で音楽に興味を持ち、ボブ・ディラン[8]、セロニアス・モンク[8]、チャーリー・ミンガス[8]、マイルス・デイヴィス[9]、ジョン・コルトレーン[9]の影響を受けて育つ。教員養成大学在学時、毎夜地元のジャズ・セッションに参加した[9]。ニューカッスル・ビッグ・バンドにベーシストとして参加、1972年、スティングにとってはじめてのアルバム『Newcastle Big Band』をリリース[9]。1974年、ジャズ・フュージョン・バンド、ラスト・イグジットを結成、1976年にはロンドンで活動することを決めていたところ、彼のステージでのパフォーマンスを一目見ただけで「彼はただのジャズバンドのメンバーではない。彼こそがロック界のスーパースターになる男だ」と見抜いた[9]スチュワート・コープランドに誘われて[8]、ヘンリー(アンリ)・パドゥバーニと共にポリスを結成する[10][11]。