世界で最も多くの作品が映画化されたコミック作家[18] およびカメオ出演した映画の興行収入が世界一の俳優[19][20] として、ギネス世界記録に認定されている。
手がけたキャラクターの中ではシルバー・サーファーに強い思い入れがあり[21]、女性向けのロマンス・コミックスを手がけることを好む[22]。物忘れが激しいため、キャラクターの名前のイニシャルを『スパイダーマン』のピーター・パーカー(Peter Parker)のように、同じ頭文字にすることが多いが、『アイアンマン』のトニー・スタークなど例外も存在する[1]。
「自分の仕事は所詮雇われ仕事に過ぎない」と、自分が原作したコミックの著作権がすべて会社に帰属することが圧倒的に多いアメリカン・コミックスの現状を皮肉る一方、マーベル・コミックで原作を手がけたコミックの扉頁には「スタン・リー・プレゼンツ」と長年に渡って表記されるなど格別の扱いを受けている[23]。
多数の特殊能力を持つヒーローを生み出したことから、ファンから「最強の能力はなにか?」と問われることが度々あったが、その時は決まって「運こそが最高。幸運さえあれば全てがうまくいくからだ」と語っていた[6]。 一時期、マーベル・コミックのライターはほぼスタンしかおらず、1950年代には多いときで月に82本のコミックの脚本を担当していたこともあった[24]。そうした状況から偶然生み出されたのが「マーベル・メソッド」である[1]。スタンはアーティストたちに仕事を滞りなく与えるため、まず物語のプロットだけを渡し、作画ができ上がった状態で具体的な台詞を入れていった[25]。最初は苦肉の策に過ぎなかったが、でき上がってみると以前よりも作品の質は向上し、この手法を導入してからコミックの売り上げも上昇した。その後もアーティストと脚本家間で物語をフィードバックする目的で用いられ、1970年代にはDCコミックスにもマーベル・メソッドは取り入れられることとなった[26]。 ライターとアーティストの境界があいまいなマーベル・メソッドは、著作物の権利を巡る争いを生むこともあった。1960年代のマーベルでは、アーティストが実質的に原作の一部を担っていることが作者クレジットに反映されていなかった。この時期にスタン・リーとコンビを組んでいた中でも特に名高いジャック・カービーとスティーヴ・ディッコは、それを不服として相次いでマーベルを去っている。また、創作物のアイディアが原作者リーとアーティストのどちらから出たかが争われることもあった。カービーとディッコは後年のインタビューや自己出版で、『ファンタスティック・フォー』や『スパイダーマン』などの中心的なアイディアが自分たちのものだったと主張し、制作の内幕についてのリーの証言を真っ向から否定している[27]。 第43代アメリカ大統領のジョージ・W・ブッシュは「彼の作品は若者達の創造性を伸ばすことに大いに貢献した」と評している[1]。 映画監督のスティーヴン・スピルバーグは「彼と私の創っているものは同じ。ただ私の絵が動くだけ」と明言している[1]。 DCコミックスの発行責任者だったポール・レビッツは「同年代のライターにとって手本となる存在。その功績は大きい」と評している[1]。
マーベル・メソッド
評価2008年
作品
原作
アメイジング・スパイダーマン(前身の『アメイジング・ファンタジー』15号の脚本。1?100、105?110、116?118、200号の脚本)
ファンタスティック・フォー(1?114、120?125、296号の脚本)
X-メン(1?19号の脚本)
アイアンマン (前身の『テイルズ・オブサスペンス』7、9、16、22、27、29?30、39?99号の脚本)
ハルク(前身の『テイルズ・オブ・アストニッシュ』1、6、12?13、15?17、24?33、35?101号の脚本)
マイティ・ソー(前身の『ジャーニー・イントゥ・ミステリー』83?125号の脚本。126?192、200、385号の脚本)
デアデビル(1?9、11?50、53号の脚本)
ドクター・ストレンジ(前身の『ストレンジ・テイルズ』9、11、74、89、90?100号の脚本)
アベンジャーズ(1?35号の脚本)
シルバー・サーファー(1?18号の脚本)
サージェント・フューリー(1?28号の脚本)
ソーラーマン(1?2号の脚本)
ラヴェッジ2099(1?7号の脚本)