スタントマン
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どの国でも危険なシーンを演じるというのは同じであるが、歴史としてはアメリカが主に西部劇においてハードな乗馬アクションをこなす際の特殊技能や安全装置の開発から始まったのに対し[2]、日本ではチャンバラ映画における殺陣での斬られ役[3]、香港の武侠映画やカンフー映画でのやられ役など[4]リアクションを重んじる形で発展してきた役割であった[5]

日本香港アメリカ
スタントマン、スタントウーマン武師Stunt performer(英語版)
(スタントパフォーマー)
Stunt person
(スタントパーソン)
Stunt man, Stunt woman
(スタントマン、スタントウーマン)
吹き替え、替え玉
スタントダブル
スーツアクター替身
替身
皮套演員Stunt double(英語版)
(スタントダブル)

アクション撮影においては、スタントマンの上に殺陣師スタントコーディネーター、香港や日本の現場によってはアクション監督といった立場のスタッフがいるが[6][7]、それらのほとんどはキャリアの初めにスタントマンとして活動した経験を持つ者である。

ギャラについては、事務所に差し引かれた後の額しか教えて貰えず正確な単価は本人にもわからない場合が多いという[8]
歴史「吹き替え#映画における「吹き替え」」も参照

1900年代初頭、プロのスタントパフォーマーは求められておらず、多くが無料で参加していた[9]。最初に賃金が支払われたスタントパフォーマーが登場したのは1908年の『モンテ・クリスト伯』とされている[10]。1910年代から1920年代にかけて連続活劇が発達し、それに応じてスタントパフォーマーの仕事が増えた[11]

また、1910年代のサイレント映画時代のハリウッド初期において、たくさんの女性たちがスタントを行っていた[12]。最初の女性スタントパフォーマー(スタントウーマン)は1914年の『ヘレンの冒険』で活躍したヘレン・ギブソンだと言われている[11]。しかし、映画業界が盛り上がるにつれ、そのスタントの仕事は男性に奪われていき、男性が女性用ウィッグや女性の衣裳を着てスタントをすることさえあった[13]。ドキュメンタリー『スタントウーマン ハリウッドの知られざるヒーローたち』では、今なおスタントの世界では数多くの女性差別が存在することが指摘されている[12]
歴史(日本)

戦前には吹き替えに任せず、自ら演じるハヤフサヒデトがいた。戦後には昭和30年代から宍戸大全大映東映で吹き替えをしており、春日太一は宍戸を「日本初のスタントマン」と紹介している[14]

昭和35年には千葉真一が『新 七色仮面』で前任者の波島進が吹き替えに任せていたところを[15]、七色仮面の扮装を着用[16][17]。宙返りなどのスタントを千葉は自ら行い、この演技は後にスーツアクターの誕生に繋がっている[16][17]。柔道映画では自分が投げた相手、投げられて飛び込み前転の吹き替えもこなしていた千葉は、人材不足が原因で両方を演じなければならない撮影現場の状況を憂い、昭和45年ジャパンアクションクラブ (JAC) を設立[18]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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