2世紀の歴史家アッリアノスはスタテイラのことを「バルシネ」と呼んだが、ロドス島のメムノンの妻バルシネとは別人である[2]。
なお、スタテイラとアレクサンドロス3世との間にはAesopia(紀元前325年頃生誕)という娘がいたとされ、セレウコス1世の息子の一人アカエウス(アカイオス)と結婚。アンドロマコス(紀元前290年から紀元前225年頃まで存命)、ラオディケ1世(紀元前289年頃生誕)、アンティオキス(紀元前287年頃生誕)、アレクサンドロス(紀元前285年頃から紀元前243年頃)、ラオディケ2世の2男3女を儲けたという。
アンドロマコスの妹ラオディケ2世は甥(姉ラオディケ1世の子)セレウコス2世と結婚。セレウコス3世、アンティオコス3世、ラオディケの母となる。アンティオコス3世の直系はセレウコス朝滅亡まで続き、ポントス王ミトリダテス6世はアンティオコス3世の曾孫(3世の2人の子アンティオコス4世とラオディケが兄妹結婚し、その娘ラオディケがミトリダテス6世の母)である。
更にアンティオコス3世の姉妹ラオディケはバクトリア王エウクラティデス1世の母とされている(異説あり)。
アンドロマコスの妹ラオディケ1世はアンティオコス2世と結婚。セレウコス2世とラオディケの母となる。ラオディケはポントス王ミトリダテス2世と結婚、ミトリダテス3世とラオディケを儲ける。このラオディケとアンティオコス3世が結婚しているため、ポントス王家とセレウコス朝は三重に婚姻関係がある。ラオディケ1世の孫アンティオコス3世の娘クレオパトラ1世はプトレマイオス5世に嫁いでおり、プトレマイオス朝にもその血が入り込んだ。それはコンマゲネ王家やクレオパトラ7世、ローマ帝国の皇室の1つユリウス=クラウディウス朝の一部の家系(小ユリアの家系)に繋がり、更にその血筋は有力なローマ貴族(アニキウス氏族のアニキア家やアレオビンドゥス家)や西ゴート王国の王族の一部を形成し、現在のスペイン王室も末裔といわれる。
アンドロマコスのもう一人の妹アンティオキスはアッタロスという人物と結婚。アッタロス朝のアッタロス1世の母となった。以降のアッタロス朝国王はアンティオキスの子孫で、アッタロス朝の滅亡後もその血筋はローマ貴族と結び付き、これもアニキア家に入り込み、末裔にローマ皇帝ペトロニウス・マクシムスとオリブリオスがいる。さらに東ローマ帝国のレオ朝やユスティニアヌス王朝、ヘラクレイオス王朝と縁戚関係があり、アンティオキスの血筋もまた西ゴート王国に入り込んでいる。
アンドロマコスの弟アレクサンドロスの妻子は記録から確認が取れない。
アンドロマコス自身にはアカイオスという息子がおり、アカイオスは紀元前220年から7年間、対立王だったが、紀元前213年にアンティオコス3世によって処刑された。アカイオスの妻子についても記録から確認が取れない。
脚注[脚注の使い方]^ プルタルコス、『対比列伝』、アレクサンドロス伝、 77.4
^ アリアノス、『アレクサンドロス大王東征記』. 7.4.4-8
外部リンク
⇒Pothos.org - Stateira, mother and daughter
⇒Livius.org - Barsine/Statira
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