スタジオジブリ
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1987年 - スプリングハウスが完成し、同ビル2階に第2スタジオが入居する[14]。
1989年10月 - 徳間書店を退社した鈴木が、スタジオジブリ専従の制作部長に就任。
1989年11月 - スタッフの社員・常勤化、研修生制度、定期新人採用の開始。
1990年代
1991年 - 宮崎の新スタジオ建設案で、経営方針の対立が勃発。原が常務を辞任して退社し、後任に鈴木が就任。
1992年 - 東小金井駅付近に、宮崎設計でジャストホームの清川実が請け負った地上3階地下1階の新社屋が完成。
1997年 - 経営悪化した徳間書店の収益確保の一環で徳間書店に吸収合併され、株式会社スタジオジブリは解体。徳間書店の社内カンパニー株式会社徳間書店スタジオジブリ・カンパニーに改組。同年『もののけ姫』完成後、宮崎が退社。
1999年 - 徳間書店が事業部制を導入し、株式会社徳間書店スタジオジブリ事業本部に改称。さらに、宮崎がスタジオジブリ所長として復帰。
2000年代
2004年 - 株式会社徳間書店スタジオジブリ事業本部を、有限会社スタジオジブリに分割。
2005年 - 徳間書店からの分離・独立により[4][10]、組織形態を有限会社から株式会社へ変更[15]。株式会社スタジオジブリが、株式会社徳間書店スタジオジブリ事業本部の業務すべてを継承。鈴木が代表取締役社長に、宮崎とスティーブン・アルパートがそれぞれ取締役に就任した。
2008年 - 鈴木が社長を退任し、代表権を持つプロデューサーに就任。後任の代表取締役社長には、元ウォルト・ディズニー・ジャパン社長の星野康二が就任した。
2009年 - トヨタ自動車[注 5]本社内に、新スタジオとして西ジブリを開設[16][17]。
2010年代
2010年 - 西ジブリを閉鎖。
2014年 - 制作部門の解体を発表。社内では、年内をもって制作部門スタッフ全員の退職が発表される[18]。
2015年 - 第20回釜山国際映画祭において、アジア映画人賞を受賞[19]。
2017年 - 宮崎の新作長編アニメーション映画の本格的な始動にともなう制作部門の活動再開、および新人スタッフの募集開始を発表。代表取締役社長に三鷹の森ジブリ美術館館長を務めていた中島清文が就任し、2008年から社長を務めていた星野は代表取締役会長に就任した[20]。また、現在、宮崎の長編アニメーション映画『君たちはどう生きるか』と、宮崎吾朗のテレビアニメーション『アーヤと魔女』を2本同時で制作していることを発表[21]。
2018年 - マンマユート団を吸収合併。
2019年 - 中日新聞社と共同で、ジブリパークの管理運営を担う株式会社ジブリパークを設立[22]。
2020年代
2021年 - 新型コロナウイルス禍に対応するため、社長の中島が退任し、三鷹の森ジブリ美術館の専従の総責任者として第2代館主に就任[23]。会長の星野が社長を兼任することとなった[23]。同美術館の設立時から館主であった宮崎は、名誉館主となった[23]。
2023年3月 - 星野が会長兼社長を退任し、鈴木が社長に復帰[24]。星野は6月末をもって退社した。
2023年9月 - 日本テレビホールディングス子会社の日本テレビ放送網が、スタジオジブリを子会社化することが発表された。同年10月6日付けでの株式取得および同月30日のスタジオジブリ株主総会決議をもって、日本テレビ放送網の福田博之が代表取締役として就任し、鈴木は代表取締役議長、宮崎は取締役名誉会長となる[25]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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