スズキ_(企業)
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しかし、2014年は同年1月に発売を開始したクロスオーバーSUVハスラーが発売初年で10万4233台とヒット車種となったことで軽乗用車販売台数の大幅アップ(2013年比15.9%増)に貢献し、同協会による2014年の軽四輪車新車販売速報[16]ではダイハツ工業(70万6288台)を2,795台上回る70万9083台となり、8年ぶりに軽自動車年間販売台数No.1の座を奪還した[17][18]

新興国市場への進出に積極的で、特にインド市場で強みを発揮しており、インドにおける自動車年間販売シェアの54 %はスズキが占めている[19]。2002年にインド政府との合弁会社マルチ・ウドヨグマルチ・スズキ・インディアとして子会社化し、連結経常利益の4割を占めている。ハンガリーマジャールスズキ)とインド(マルチ・スズキ)の生産拠点では、日本国外市場向けの製造のみならず、日本市場への輸出も積極的に行っている。

東京商工リサーチ浜松支店が2016年5月18日に発表したところによると、日本国内の仕入れ先は5,372社で、そのうち一次仕入れ先は1,154社、二次仕入れ先は4,218社であり、一次仕入れ先の約半数である506社が静岡県内の企業で、数としては一位を占めている。またそれとは別に、一次仕入れ先の過半数は資本金5000万円未満の企業である[20]。取引銀行は、三菱UFJ銀行静岡銀行りそな銀行である。

自動車以外ではモーターサイクルモーターボート(スズキマリン)、船外機発電機リース/クレジット事業(スズキファイナンス)、住宅(スズキハウス)、マジャール・スズキからの縁によるハンガリー産ワインはちみつ保険の販売やカー用品事業(オートリメッサ)、ガソリンスタンドゴルフ場の経営なども手がける。これらのほとんどは関連会社のスズキビジネスが担当している。

2020年に創立100周年を迎えた国内自動車メーカーの中でも歴史の長い名門企業である。現在の大手自動車メーカーでは珍しく、起業から現在に至るまで創業家一族が経営の中枢を担う役職を世襲している。ただし、2000年から2008年までは創業家以外から社長が選出されており、初代社長の鈴木道雄と2015年に社長に就任した鈴木俊宏以外の創業家出身の社長は全て婿養子である。
沿革

1909年明治42年)10月 - 創業者鈴木道雄により、鈴木式織機製作所として浜名郡天神町村上中嶋(現・浜松市中央区中島一丁目)で創業。

1920年大正9年)3月 - 鈴木式織機株式会社として設立。

1940年昭和15年)- 静岡県浜名郡可美村(現・浜松市中央区)に高塚分工場が完成。

1947年(昭和22年)- 本社を現在地に移転。

1954年(昭和29年)6月 - 商号を鈴木自動車工業株式会社に変更。

1958年(昭和33年)10月 - 社章「S」マークを制定。

1961年(昭和36年)4月 -繊維機械部を分離、鈴木式織機株式会社を設立。

1962年(昭和37年)3月 - 社是制定。

1966年(昭和41年)6月 - 社旗および社歌を制定。

1981年(昭和56年)8月 - ゼネラルモーターズ(GM)と提携。

1982年(昭和56年)10月 - マルチ・ウドヨグと合弁事業契約を締結。

1990年平成2年)10月 - 商号をスズキ株式会社に変更(旧英文名称はSuzuki Motor Co., Ltd.)。

2006年(平成18年)3月 - GMの出資比率が3 %となる。

2008年(平成20年)3月 - GMの保有株を全て自社買取。

2009年(平成21年)

4月 - 本社南側に スズキ歴史館をオープン。

12月 - フォルクスワーゲン(VW)との包括的業務資本提携を発表。


2011年(平成23年)9月 - 取締役会において、フォルクスワーゲンとの提携解消を決定する。

2012年(平成24年)11月 - アメリカンスズキモーターが連邦倒産法申請、米国での四輪車販売から撤退し二輪車販売に注力するとしている[21]

2013年(平成25年)8月 - 日産自動車三菱自動車工業へ軽商用車のOEM供給で基本合意[22][23]

2015年(平成27年)8月 - 国際仲裁裁判所が、VW保有のスズキ株を売却すべきだという判断(判決)を示し、VWが保有するスズキの全株式(19.9%)を手放すことになり、公式に提携解消となった[24][25]

2018年(平成30年)3月 - トヨタ自動車とインド・欧州市場における車両の相互OEM供給について基本合意[26]

2020年令和2年)3月 - スズキ創立100周年を迎える[27][28]

2022年 (令和4年) 10月 - 米国シリコンバレーを本拠とするコーポレートベンチャーキャピタルファンド、Suzuki Global Venturesを設立[29]

経営
歴代社長

代氏名就任日退任日主な実績や特記事項
鈴木式織機製作所 社長
1
鈴木道雄1909年10月1920年3月創業者。スズキの前身である「鈴木式織機製作所」を創業し、各種製織機を発明した。
鈴木式織機 社長
1鈴木道雄1920年3月1954年6月「鈴木式織機製作所」を株式会社化し「鈴木式織機」を設立した。
鈴木自動車工業 社長
1鈴木道雄1954年6月1957年2月自動2輪車の研究開発に投資し、軽自動車の4輪乗用車スズライトの導入に至った。社名を「鈴木自動車工業」へ改称した。
2鈴木俊三1957年2月1973年5月道雄の長女婿養子。社長が実際に参加して自動2輪車の開発が行われた。最初は岳父の道雄が掲げた4輪車の開発に反対していたものの理解を示し、車輌開発と生産計画を継続し完了させた。
3鈴木實治郎1973年5月1978年6月俊三の義弟、道雄の三女婿養子。自動車及びオートバイ事業の世界への拡大と、医療福祉施設への参入を行い、電動車椅子の導入を実施。そして、スズキワークスチームが、ロードレース世界選手権に戻るように導いた。1978年6月で、病気を理由に社長を辞任した。
4鈴木修1978年6月1990年10月俊三の長女婿養子。日本の軽自動車の覇権を握る「スズキアルト」、「スズキワゴンR」などのモデルを発売。Maruti Suzuki(以前はMaruti Udergius)をインドに設立。更に投資する為、ハンガリーに行きMagyar Suzukiを設立。
スズキ 社長
1鈴木修1990年10月2000年6月米国大手自動車大手ゼネラルモーターズの資本協力を行ったり、社名を「スズキ株式会社」に改称した。
2戸田昌男2000年6月2003年3月初の創業家以外の社長。販売面における業務提携を川崎重工業と結び、オートバイ、ATVなどの製品の相互OEM供給を行う協力を発表した。しかし、後に業務提携は、スズキの意向により解消された。
3津田紘2003年3月2008年12月先代に続き創業家以外の社長。「スズキスイフト」、「スズキSX4」などのモデルを発売し、世界ラリー選手権に参戦した。
4鈴木修2008年12月2015年6月鈴木修の長女婿だった小野浩孝を第7代目の社長に人選していたが、膵臓癌のため2007年12月12日に死去。当時78歳の修が社長に復帰した。2009年には、ドイツのVW Groupと株式所有交換を行い事業提携を共にしていたが、VW側の買収工作を端に泥沼の裁判の末、スズキの意向により解消された。
5鈴木俊宏2015年6月現在鈴木修の長男。創業者の道雄以来、初の直系親族の社長になった。

歴代会長

代氏名就任日退任日主な実績や特記事項
鈴木自動車工業 会長
1
鈴木俊三1973年5月1977年
2鈴木實治郎1978年6月1983年6月
3稲川誠一1987年1月1990年


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