街路樹や公園樹に使われた歴史は古く、古代ローマの諸都市で用いられたり、古代ギリシアでも植えられていた[5]。栽培が古かったヨーロッパでは、樹齢1000年から1500年と伝えられるものも少なくなく、目通り直径が10 - 15メートルになる大木が各所で記録されている[4]。イギリスに入ったのは比較的遅く、1636年と伝えられている[4]。ロンドンではアメリカスズカケノキが初期に植えられたが、生育がよくなかったためモミジバスズカケノキに置き換えられていった[6]。当時のロンドンでは産業革命による煤煙に悩まされていて、プラタナスは大気汚染に最も強い樹種として採用された[6]。
世界では古くから街路樹に使われていたが、日本には明治初期に輸入さたとされる[注 3]。小石川植物園が最初で[6]、その後は目黒林業試験場のほか新宿御苑、日比谷公園に少数が植えられていたのみであった。明治40年、東京市の都市計画の中で街路樹として初めて採用され、新宿御苑から挿し木用の枝を採取して2万本を目標に培養し、明治43年に当時の芝区桜田本郷町に十数本が植えられたのが街路樹としての最初である。翌44年には神田御徒町に397本、日本橋に63本が植えられ、以後普及を見るに至った[9]。
主な種
Platanus gentryi
Platanus kerrii
メキシコスズカケノキ Platanus mexicanaメキシコに分布する二種のうちのひとつで、メキシカーナともいう[2]。
アメリカスズカケノキ Platanus occidentalis北アメリカの種で、オキシデンタリス、セイヨウスズカケノキともいう[5]。
スズカケノキ Platanus orientalis主にヨーロッパの種類で、種小名 orientalis(オリエンタリス)は、原産地がトルコ、ペルシア、ギリシアなどだったことに由来する[5]。
カリフォルニアスズカケノキ Platanus racemosaアメリカ西海岸沿いのカリフォルニア州からメキシコまで分布する[2]。
Platanus rzedowskii
アリゾナスズカケノキ Platanus wrightiiアメリカ南部地方に分布する種[5]。
モミジバスズカケノキ Platanus x acerifoliaスズカケノキとアメリカスズカケノキの雑種といわれる。和名は葉の形に由来する[5]。
プラタナスが登場する作品
音楽
「オンブラ・マイ・フ」(ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル)、詩はプラタナスの木陰への愛を歌ったもの。
「鈴懸の木の道で「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わってしまうのか、僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの」(AKB48)
「やさしさなら間に合ってる」 (乃木坂46)
「Gradation」(五十嵐浩晃 Duet With RAJIE)
「家路」(拝郷メイコ)
「永遠」(BoA)
「永遠のたそがれ」(斉藤由貴)
「風」(はしだのりひことシューベルツ)
「風のInvitation」(福永恵規)
「白い天使が降りてくる」(RAG FAIR)
「主人公」(さだまさし)
「鈴懸の径」(佐伯孝夫)(灰田有紀彦)(灰田勝彦)
「星のルージュリアン」(松任谷由実)
「September Blue Moon」(松任谷由実)
「サンドキャッスル」(松任谷由実)
「小さな街のプラタナス」(小椋佳)
「ハロー・グッバイ」(柏原よしえ他)
「Bitter Memories」(爆風スランプ)
「冬来たりなば」(堀込高樹(キリンジ))
「プラタナス」(ACIDMAN)
「星降る街角」(敏いとうとハッピー&ブルー)
「真冬の帰り道」(ザ・ランチャーズ)
「プラタナスの葉末に風は眠る」(ALI PROJECT)
「Atlas」(二枚目 (アルバム) ゴスペラーズ)
「プラタナス」(BARICANG)
「別離(わかれ)」(サザンオールスターズ)
「E-JAN」(忌野清志郎)
「たそがれの銀座」(黒沢明とロス・プリモス)
文学
「銀河鉄道の夜」(宮沢賢治)
「壁」(安部公房)
「ハリーポッター」シリーズ (J・K・ローリング)
「プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ」(石田波郷の代表作である俳句)
「プラタナスの木」(椎名 誠)
脚注
注釈^ スコットランドでは、セイヨウカジカエデのことを プレーン(planes)とよぶ[2]。
^ 迷彩柄のような見た目になる。1937?1942年、Johann Georg Otto Schickによってデザインされた ドイツのPlatanenmuster 迷彩パターンは最初のドット迷彩パターンである[7]。
^ 明治8年か明治9年のころ[6]。
出典^ a b ⇒Plane - Online Etymology Dictionary