スコットランド人
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ダルリアダ王国のゲール人、ピクト人、そしてブリトン人たちは、中世ヨーロッパの民族の多くと同じく独自の起源神話を持っていた[22]アングル人サクソン人といったゲルマン民族は7世紀初頭に到来し、一方でノース人が8世紀以降スコットランドの多くの地域に定住した。デイヴィッド1世時代にあたる中世最盛期、フランスイングランドネーデルラントからの移住者がいた。多くの有名なスコットランドの家名、ブルース家、ベイオール家、マレー家、ステュアート家はこの時代にスコットランドに到来した。

現在のスコットランドは、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)を構成する国イギリスのカントリー)の1つであり、スコットランドに住む人々の大半は国籍法において連合王国市民である。
歴史

ブリテン島がヨーロッパと地続きだった紀元前6000年頃、ヨーロッパで狩猟・採取で生きていた旧石器時代人が徒歩でやって来たのち、氷河が溶けてブリテン島が島となってからも人々の移住が続き、紀元前3000年頃の新石器時代には農業と定住化が始まった[23]

中世初期までに、スコットランドには複数の民族的または文化的集団がいた。彼らは現在の文献からピクト人、ゲール人、ブリトン人、そして国のはるか南東に定住するアングル人と分類されている。文化的には、彼らはその言語に応じて分類されていた。スコットランドのほとんどでは13世紀までケルト語が話されていた。これらには当初は少なくともブリトン人のみならずゲール人とピクト人も含まれていた[24]。ノーザンブリアのアングル人を含むゲルマン系の諸族は、スコットランド南東部、北はフォース湾から南のツイード川間の地方に定住していた。彼らはカイル平原を含むスコットランド南西部をも占領していき、彼らの話す古英語は最終的にはスコットランド語として知られることになる言語の最古の形だった。のち、ノルウェーアイルランド島デンマークからノース人がやってきて、北部と西部で非常に顕著な数を占めるようになった。最近発見されたのは、アウター・ヘブリディーズの男性約30%が、異なるノース人の遺伝子マーカーをDNAに持っていることだった。

9世紀、ゲール語の使用はスコットランドのほぼ全土に広がった[25][26]。そのピークは11世紀から13世紀であった。しかし南東部の言語とはならなかった[27][26]

エドガー1世によるスコットランド=イングランド間のノーザンブリア分割後、スコットランド王国は多くのイングランド人を国民として抱えることになった(彼らの多数はノルマン・コンクエスト以後イングランドにやってきた可能性が高い)。フォース湾の南東は当時ロージアンとボーダーズ(古英語でLodene)に含まれ、古英語の北部方言で古スコットランド語(英語版)としても知られる言語が話されていた。

ノーザン・アイルズ(北部島嶼部、オークニー諸島シェトランド諸島)と、ケイスネスの一部はノルド語圏だった(ケイスネス西部は20世紀に入ってゲール語圏に入った。1200年代から1500年代、古スコットランド語がスコットランドのローランド地方(ガロウェイとハイランド・ラインの間)に分散していった。

1500年代から近年まで、スコットランドは一般的に2つの言語グループに分割されていた。スコットランド・ゲール語(英語話者には旧称Scottisで知られ、18世紀の多くのローランド住民にはアイルランド語として知られていた)を話すハイランダー(ハイランド住民)と、イングリス(のちにスコットランド語)を話し、後に英語圏となったローランダー(ローランド住民)である。今日では移民が異なる言語を持ち込んでいるが、スコットランド中のほぼすべての成人は英語に堪能である。
海外のスコットランド人家系アメリカ合衆国内で報告されたスコットランド人家系の割合。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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