スコットランド人
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しかし時には古めかしく軽蔑的な意味合いから、Scotchという名称もスコットランド人を指して使われる[18]。しかしこの名称は現在では主としてスコットランドの外でしか用いられていない[19][20]

スコットランド国外の多くの国々にも、スコットランド系の人々がいる。ハイランド・クリアランス (Highland Clearances) やローランド・クリアランスの影響によるものや、大英帝国にスコットランドが参加したことによる移民、そして後期には産業の衰退と失業を理由として、世界中にスコットランド系の人々が見られるのである。スコットランド人の大集団は、南北アメリカ大陸、オーストラリアニュージーランドなど新大陸に移住した。カナダでは高い割合でスコットランド人の存在感がある。アメリカ合衆国についでカナダでは、スコットランド人を先祖に持つ人々が2番目に大きな人口を持っている。彼らは自らのスコットランドの言語と文化を引き継いでいる[21]

スコットランドはその歴史の中で、異なる期間に人の移住や定住を経験している。ダルリアダ王国のゲール人、ピクト人、そしてブリトン人たちは、中世ヨーロッパの民族の多くと同じく独自の起源神話を持っていた[22]アングル人サクソン人といったゲルマン民族は7世紀初頭に到来し、一方でノース人が8世紀以降スコットランドの多くの地域に定住した。デイヴィッド1世時代にあたる中世最盛期、フランスイングランドネーデルラントからの移住者がいた。多くの有名なスコットランドの家名、ブルース家、ベイオール家、マレー家、ステュアート家はこの時代にスコットランドに到来した。

現在のスコットランドは、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)を構成する国イギリスのカントリー)の1つであり、スコットランドに住む人々の大半は国籍法において連合王国市民である。
歴史

ブリテン島がヨーロッパと地続きだった紀元前6000年頃、ヨーロッパで狩猟・採取で生きていた旧石器時代人が徒歩でやって来たのち、氷河が溶けてブリテン島が島となってからも人々の移住が続き、紀元前3000年頃の新石器時代には農業と定住化が始まった[23]

中世初期までに、スコットランドには複数の民族的または文化的集団がいた。彼らは現在の文献からピクト人、ゲール人、ブリトン人、そして国のはるか南東に定住するアングル人と分類されている。文化的には、彼らはその言語に応じて分類されていた。スコットランドのほとんどでは13世紀までケルト語が話されていた。これらには当初は少なくともブリトン人のみならずゲール人とピクト人も含まれていた[24]。ノーザンブリアのアングル人を含むゲルマン系の諸族は、スコットランド南東部、北はフォース湾から南のツイード川間の地方に定住していた。彼らはカイル平原を含むスコットランド南西部をも占領していき、彼らの話す古英語は最終的にはスコットランド語として知られることになる言語の最古の形だった。のち、ノルウェーアイルランド島デンマークからノース人がやってきて、北部と西部で非常に顕著な数を占めるようになった。最近発見されたのは、アウター・ヘブリディーズの男性約30%が、異なるノース人の遺伝子マーカーをDNAに持っていることだった。

9世紀、ゲール語の使用はスコットランドのほぼ全土に広がった[25][26]。そのピークは11世紀から13世紀であった。しかし南東部の言語とはならなかった[27][26]

エドガー1世によるスコットランド=イングランド間のノーザンブリア分割後、スコットランド王国は多くのイングランド人を国民として抱えることになった(彼らの多数はノルマン・コンクエスト以後イングランドにやってきた可能性が高い)。フォース湾の南東は当時ロージアンとボーダーズ(古英語でLodene)に含まれ、古英語の北部方言で古スコットランド語(英語版)としても知られる言語が話されていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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