対領空侵犯措置に従事する要撃機の兵装は、同措置の開始以降、基本的には航空機関砲もしくは空対空ロケット弾のみであり、ミサイルは搭載していなかった[11]。F-104Jの導入後、1968年から1971年にかけて一時的にミサイルを搭載した時期もあったが、平時の対領空侵犯措置においてミサイルを使用する状況は想定し難いとして、その後は再び航空機関砲のみの装備に戻っていた[11]。しかしベレンコ中尉亡命事件が発生した1976年よりソ連機の領空侵犯頻度が急増、また1977年12月には能登半島沖でKSR-5(AS-6)(英語版)空対地ミサイル搭載のTu-16爆撃機が視認されたほか、1980年には超音速のTu-22Mも極東方面に配備されるなど、極東ソ連航空部隊の脅威は急速に増大していった[11]。これらの趨勢を受けて、対領空侵犯措置任務に就く要撃機にミサイルを搭載することによって奇襲対処能力を向上させるとともに、領空侵犯機等の行動への抑止効果も発揮することが期待されるようになった[11]。これを受けて、1980年8月より空対空ミサイルの搭載が開始された[8]。
領空侵犯が生起した場合は警告を行う。従来、領空侵犯が行われた場合でも警告射撃まで行うケースはなかったが、1987年12月9日、領空侵犯して沖縄本島、更に那覇基地上空まで侵入したTu-16偵察機に対して、緊急発進したF-4EJ戦闘機により、史上初の警告射撃が行われた(対ソ連軍領空侵犯機警告射撃事件)[12][注 2]。
なお「要撃機の行動」規定では、要撃機が射撃する際の根拠は刑法第36・37条(正当防衛・緊急避難)とされている[4]。このため、JADFから防空の任を引き継いでいたアメリカ第5空軍の管理運用規則(SOP)と異なり「敵対的偵察機、機雷投下作業中の航空機、発砲してこない航空機に対しては攻撃できない」とされており、アメリカ空軍から問題視された[4]。例えば日本の都市を爆撃後にひたすら逃走する爆撃機を要撃機が撃墜した場合、正当防衛が成立しないことから、要撃機のパイロットの行為は刑法上の殺人罪および器物損壊罪が成立することが指摘されている[13]。 年度緊急発進 民間航空機が緊急事態に陥った場合や、大規模災害発生時も戦闘機が緊急発進して情報収集を行なう。偵察機でないのは、戦闘機が一番早く飛び出せる態勢になっているため。大地震の場合(最大震度5弱で対応する)、夜間で「何も見えない」でも、少なくとも火災は起きていないという事が重要な情報になる。被害が確認された場合には続いて(戦闘機以上に観察能力に長けた)偵察機が出る。1985年8月の日本航空123便墜落事故では、2機のF-4EJ戦闘機が遭難機の捜索を実施し、1989年12月の中国民航機ハイジャック事件では、F-1支援戦闘機がハイジャック機を福岡空港まで誘導した。 UH-60J救難ヘリコプターとU-125A捜索機は、24時間体制で救難待機をしている[14]。また、戦闘機部隊及び航空救難団は、大規模災害発生時等には緊急発進をして、被災地の情報収集を実施する。近年では、2016年4月の熊本地震において、築城基地のF-2A(第8航空団第6飛行隊所属)がスクランブルにより情報収集を実施した例がある[15]。 また、輸送機部隊も、緊急輸送待機が24時間体制で維持されている。
実施状況
緊急発進件数
件数総計中国ロシア北朝鮮台湾その他
令和4年度778回575回150回0回0回53回
令和3年度1004回722回266回0回3回13回
令和2年度725回458回258回0回0回9回
令和元年度947回675回268回0回0回4回
平成30年度999回638回343回0回0回18回
平成29年度904回500回390回0回3回11回
平成28年度1168回851回301回0回8回8回
平成27年度873回571回288回0回2回12回
平成26年度943回464回473回0回1回5回
平成25年度810回415回359回9回1回26回
平成24年度567回306回248回0回1回12回
平成23年度425回156回247回0回5回17回
平成22年度386回96回264回0回7回19回
平成21年度299回38回197回8回25回31回
平成20年度237回31回193回0回7回6回
民生支援としてのスクランブル
脚注[脚注の使い方]
注釈^ これはあくまで防衛省の行政規則である訓令によるものであるため、厳密には防衛省の職員以外に法的拘束力を持つものではない[10]。
^ 国際的には警告射撃は一種の信号であって武器使用ではないと見做されており、侵犯機に脅威感を与える目的で行われる威嚇射撃とは区別して考えられている[13]。
出典^ 防衛庁航空幕僚監部人事教育部教育課 1963, p. 347.
^ a b c d e 園山 2011, p. 161.
^ a b c d e f 柳葉 1999.
^ a b c 岡田 2012.
^ 『対領空侵犯措置
^ a b c 航空幕僚監部 2006, pp. 154?159.
^ a b c d e 水野 1987.