スウェーデン
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住民の大半は北方ゲルマン系(スウェーデン人)だが、北部には少数のサーミ人フィン人が暮らす[5]。宗教は国教であるルーテル教会が大多数を占める[6]。言語はスウェーデン語が公用語であり、他にサーミ語フィンランド語などが存在する[6]

民主主義の成熟性が高く評価されており、エコノミスト誌傘下の研究所エコノミスト・インテリジェンス・ユニットによる民主主義指数は、ノルウェーとニュージーランドアイスランドに次ぐ世界4位で「完全な民主主義」に分類されている(2022年度)[7]。また、経済平和研究所による情報流通の自由度ランキング(2020年度)では世界第1位[8]国境なき記者団による世界報道自由度ランキング(2020年度)ではノルウェー、フィンランドに次いで世界第3位となっている[9]。2019年、米コンサルティング会社が実施した調査で、スウェーデンは世界で最も評判の良い国に選出された[10]。2021年のジェンダー・ギャップ指数では第5位に評価されている[11]。2015年の欧州連合差別報告書によると、スウェーデンは欧州連合で人種差別が最も少ない国とされる[12]。2023年の積極的平和指数は世界5位[13]

長らく伝統的な軍事的中立政策を取ってきたが2022年にはじまるロシアによるウクライナ侵攻を受け北大西洋条約機構(NATO)への加盟申請を行い、トルコハンガリーの承認を得るのに時間を要したものの[14]、トルコが2023年7月に[15]、ハンガリーが2024年2月に承認し、32番目の加盟国となることが確定した[16]
概説

有史以前から北方ゲルマン人ノルマン人が居住し[5]6世紀から9世紀ごろにゲルマン系諸部族の連合による統一王国が形成された。9世紀から11世紀のいわゆるバイキング時代にはヨーロッパ諸国に遠征。14世紀末から15世紀初頭にノルウェー・デンマークとカルマル同盟を結び、同君連合を形成し、実質上デンマークの統治下に置かれた。1523年グスタフ1世がスウェーデン王に即位し、デンマーク支配から独立。17世紀グスタフ2世時代には三十年戦争に介入してバルト海一帯を支配する強国になったが、18世紀初頭の北方戦争に敗れて領土の多くを喪失したことでその地位を失った。1814年ノルウェーを同君連合下に置いたが、1905年にノルウェーは分離独立した。19世紀半ば以降は対外平和と国内民主化に努め、20世紀の両大戦にも中立を守った[6]

政治体制は議会(リクスダーゲン)から選出された首相が行政権を握る議院内閣制である。議会は一院制で、その選挙制度は完全比例代表制である[17]国王1974年制定の政体法により王権を大幅に縮小されており、儀礼上の役割のみが権能として残されている。現王室はベルナドッテ家。歴代国王は王位につく際に、自分の統治について所信表明する習慣になっている[注釈 1]オンブズマン制度(行政を独立した立場の者が監視する制度)の発祥地として知られ、現在では様々なオンブズマン制度が行政監視のみならず社会のマイノリティー差別の監視の役割も担っている[17]

高福祉高負担の代表的な国として知られており、教育費、医療費、失業手当、年金などで手厚い保護を受けられる一方で税金が非常に高い[17]。特に富裕層には非常な高税が掛けられ、その課税率は他の先進国と比較しても群を抜いて高い。ただ近年(2019年)は富裕層への高税を緩和する政策も打ち出されている[18]労働組合の組織率が高く、政治的に大きな影響力があり、労働組合と企業・政府との緊密な協調体制は「スウェーデン・モデル」と呼ばれた[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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