地理としては国土が南北に長く、北西部は山地、南東部は丘陵・低地・湖沼地帯、東部はボスニア湾とバルト海に面し、西部のノルウェーとの国境は標高1500から2000mの山脈であり、その最高峰はケブネカイセ山(2123m)である。南西はカテガット海峡を挟んでデンマークと近接する。ヴェーネルン湖、ヴェッテルン湖など多くの湖が存在し、湖の総面積が国土の約8.6%を占める。国土の約50%は針葉樹を主とする森林に覆われている。気候は緯度の割には温暖であり、南部では年平均6から7℃の気温である[6]。 正式名称はKonungariket Sverige(コーヌンガリーケト・スヴェリエ)。通称Sverige [1sv?rj?]
国名
日本語の表記はスウェーデン王国。通称スウェーデン。ほかにスエーデン、スェーデンという表記もされる。漢字による当て字は「瑞典」。なおスイスの当て字は「瑞西」で、いずれも「瑞」と略されるが、これらの漢字名は一般にあまり用いられないため混乱を生むことは少ない。なお、特にスイスと区別する場合はスウェーデンを「典」[21]、スイスを「瑞」と略する[注釈 2]。
歴史詳細は「スウェーデンの歴史」を参照
古代はスウェーデン・ヴァイキング(ヴァリャーグ)としておもに東方で活動した。ヨーロッパ文化やキリスト教も受容し、13世紀ごろにはフォルクンガ朝が現在のフィンランドを含む地域を統一。1397年にデンマーク・ノルウェーとカルマル同盟を結び同君連合となる。
バルト帝国バルト帝国の版図
1523年、カルマル同盟から離脱し王政となる(ヴァーサ朝)。16世紀の宗教改革ではプロテスタントを受容し、バルト海地域へ進出する。17世紀、グスタフ2世アドルフ(獅子王)の時代にバルト帝国を建国する。三十年戦争に参加したり、新大陸にも植民地を築き、王国は最盛期を迎える。1654年にプファルツ朝に王朝替えするもバルト帝国を維持。しかし18世紀初頭にカール12世はバルト海の覇権を争い、ピョートル1世の時代のロシア帝国との大北方戦争で敗れ、沿岸の領土を失い一時没落する。18世紀後半にホルシュタイン=ゴットルプ朝のグスタフ3世が中興させるも、ナポレオン戦争にともなう第二次ロシア・スウェーデン戦争の敗北により、フィンランドを失った。 1809年の革命で立憲君主制が成立、1814年にキール条約でノルウェーを併合、1818年よりフランス人ベルナドット元帥(カール14世ヨハン)が国王に即位しベルナドッテ朝が始まる。身分制的・封建制的秩序の解体が進み出した。ウィーン体制ではノルウェーと同君連合(1814年 - 1905年)を結ぶが、スウェーデン=ノルウェーは1905年に分離した。19世紀半ばにスウェーデン王の推奨した汎スカンディナヴィア主義が頓挫し、北欧は小国分立に向かった。スウェーデンでは1866年に身分制議会が廃止された。世紀後半の大不況にアメリカへ人口が流出した。国内では、自由教会運動、禁酒運動、社会民主主義労働運動などが起こった。1914年からの第一次世界大戦では中立であった。 1932年にスウェーデン社会民主労働党(社民党)政権となった。武装中立政策をとり、第一次世界大戦、第二次世界大戦の両大戦にも参加していないが、両大戦とも義勇軍を組織していた。特に第二次大戦では、1940年にナチス・ドイツが周辺のフィンランド、ノルウェー、デンマークなどに次々と侵攻[22]していく中、独立を保持し続けた。これは枢軸国と連合国の両方にさまざまな便宜を図ったことが理由の一つであり、中立違反として戦中も戦後も国内外から批判を浴びている。ただし、当時は連合国も枢軸国も国際法を守っていなかったうえ、両陣営がそれぞれ優勢な時期でも宣戦布告や領土内への侵攻を許さなかったことは事実である。ことにデンマーク、ノルウェー、フィンランド人の反ナチス・レジスタンスやユダヤ人を保護したことは、人道に重きを置いた決定と言える。また、大日本帝国政府の終戦の事前交渉も行っている。 1940年代後半から1950年代にかけてスウェーデンは、イタリア、ユーゴスラビア、ギリシャ、トルコなどから、労働力不足を補うために労働者を受け入れた[23][24][注釈 3]。 東西冷戦中はノルディックバランスを構築し、アメリカ寄りの政策と中立主義政策を行き来した。 2022年に開始されたロシアによるウクライナ侵攻を受け、軍事的中立主義を破棄し、西側諸国の一員として北大西洋条約機構(NATO)の加盟をフィンランドと共に申請した。2023年4月にトルコの承認により、フィンランドが一足先に加盟[25]し、フィンランドのニーニスト大統領はスウェーデンのNATO加盟を改めて支持した[26]。2024年2月までに、スウェーデンもようやく全加盟国の加盟承認を得られたため加盟することが確定した[16][27]。 2023年、スウェーデン政府は新しい移民政策を実施し、スウェーデンの移民数を減らすと宣言したが[28][29]、研究者にとってはむしろ改善された条件もある[30]。 政体は立憲君主制。国家元首である国王は、国家の象徴であるが、1974年改正後の憲法では、通例の立憲君主制の君主が有するような、首相任命権をはじめとするすべての官吏任命権を形式的にも失っており、権能は情報閣議による大臣からの情報収集(内奏)や、外国使節の接受などのより儀礼的なものに限られており、実質的に象徴君主制と言える。
ベルナドッテ朝
20世紀
政治詳細は「スウェーデンの政治(英語版