デップもトッドというキャラクターについて、「シド・ヴィシャスだって彼に比べれば純情な新聞配達の少年みたいなものだよ。彼は闇を超えた存在だ。彼は既に死んでいる。死んでから何年も経っているんだ」と述べている[38]。デップはまた、トッドの髪に入れられた一筋の白髪について次のように語った。「島流しにされてからこの忌まわしい痛手を負っていたという考えは、秘密にされていた。あの一筋の白髪は、憤怒のなせる衝撃だよ[注釈 12]。それまでに起きたことへの、彼の激怒を表しているんだ。確かに初めての表現ではないけれど、それでも効果的だ。あれだけで物語を語ってしまう。僕の兄には大きくなる白髪のかたまりがあったし、彼の息子の髪にも白髪のかたまりみたいなものがあるよ」[注釈 13] ? ジョニー・デップ、[36]
バートンは映画が血生臭いものだと力説し、殺戮を繰り返す舞台版からその力を盗み取ったように感じると述べた。彼は「スウィーニーの全てはとても内面的なもので、[噴き出す血]は彼の感情の現れのようだ。文字に書かれるよりもっとカタルシスになる」と話している[40]。プロデューサーのリチャード・D・ザナックはバートンの姿勢について次のように話した。「[バートンは作品]を超現実的でキル・ビルのような様式にしたがっていて、非常にはっきりとしたプランを持っていた。首切りや血が噴き出すところではテストや実験をやったよ。ティムに『マジかよ、こんなに大胆にやるのかい?』って聞いたことを覚えている」[注釈 14] ? リチャード・D・ザナック、[13]
彩度が抑えられたセットを利用したため[7]、オレンジ色に変えられた血糊が用いられ、撮影クルーは色が付いてしまうのを避けるためゴミ袋で作ったライナーを着用して撮影に臨んだ[41][42]。また、シーンを劇的にするため、1シーンに対し人間の総血液量[注釈 15]を超える量の血糊が使われた[42]。彩度を抑えたセットは、1930年代から1940年代のハリウッド映画の雰囲気を要求したバートンの依頼に応え、1931年の映画『フランケンシュタイン』を参考にして作られた[8][7]。また衣装は全て手縫いであり、ラヴェットのドレスの中には、わざわざヴィクトリア朝のカーテン布を探し出して作られたものも存在する[8][7]。