スイス衛兵
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1874年にスイス憲法が改正され傭兵の輸出を禁じるようになり、1927年には自国民の外国軍への参加を禁止した[注 1]。このため、スイスの傭兵輸出産業は完全に終了することになったが、中世からの伝統をもつバチカン市国のスイス衛兵のみは、「ローマ教皇のための警察任務」との解釈により、唯一の例外として認められている。
フランスのスイス傭兵詳細は「ギャルド・スイス」を参照スイスルツェルンにあるライオン記念碑(英語版)(嘆きのライオン像)。フランス革命の際にテュイルリー宮殿ルイ16世とその家族を守って殉職したスイス傭兵を偲んで造られた。背中に折れた矢が刺さったライオンはスイス傭兵、ライオンがかばっている盾はルイ16世とその家族を表している。

マリニャーノの戦いの後の和解により、1516年からスイス傭兵(ギャルド・スイス)はフランス軍の重要な一角を占めるようになる。フランソワ1世イタリア戦争など一連の戦争において延べ12万人のスイス傭兵を雇用したといわれ、1525年のパヴィアの戦いでも多数のスイス傭兵がフランス軍に参加している。ルイ14世のころに、スイス傭兵はスイス衛兵とスイス連隊に分けられ、その規律の正しさとフランス王への忠誠心から高い評価を受けていた。

フランス革命の際にもテュイルリー宮殿に殺到する民衆に対して王家の防衛に当たったが、多数の敵に囲まれて大部分が殉職した。革命時にはスイス衛兵は廃止されたが、ナポレオン時代に復活し、7月革命時に再び廃止された。
バチカンのスイス傭兵詳細は「バチカンのスイス衛兵」を参照
スイス傭兵が参加した戦い

イタリア戦争

三十年戦争 - 17世紀に起こったドイツでの宗教戦争及び国家間戦争。特にスウェーデン軍フランス軍に雇用された。

ソルフェリーノの戦い - 1859年、スイス人兵が外国人部隊として投入された戦い。スイスの銀行家アンリ・デュナンは、戦場の凄惨さを見た経験から赤十字国際委員会を設立。

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 1936年に勃発したスペイン内戦では、これに参加した自国民に対して禁固刑などの処罰が成された。

関連項目

アルプスの少女ハイジ - 主人公の祖父はかつて傭兵であり、息子も傭兵として外国で戦死[要出典]している。

ランツクネヒト

フランス軍第1歩兵連隊 - 1479年に設立されたフランス王国軍のピカルディー連隊をルーツとする。ピカルディー連隊はのちにスイス傭兵によって編成され、連隊旗はスイスの国旗同じ赤地に白十字であった。

グルカ兵










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