ジーン・ハックマン
[Wikipedia|▼Menu]
30歳を過ぎてから俳優を志すようになり、パサディナ・プレイハウス[2]リー・ストラスバーグ主催のアクターズ・スタジオダスティン・ホフマンとともに演技を学んだ[2]のち、ニューヨークへ渡る。ホフマンが多数の映画に出演しスターダムへ上り詰める一方、ハックマンは舞台テレビドラマで端役しか与えられず、鳴かず飛ばずの状態が続いた。

ブロードウェイでの公演を観たロバート・ロッセン監督に見出され『リリス』で映画デビュー。1967年アーサー・ペン監督の『俺たちに明日はない』に主人公クライドの兄バック役で出演。映画出演3作目で第2回全米批評家協会賞の助演男優賞を受賞。第40回アカデミー助演男優賞にもノミネートされ、37歳にしてようやく脚光を浴びた。

1970年に『父の肖像』で再度アカデミー助演男優賞にノミネートされると、翌1971年に出演したウィリアム・フリードキン監督の『フレンチ・コネクション』での演技が認められ、第44回アカデミー主演男優賞を獲得。一躍世界中の知るところとなった。同作品で演じた粗暴なコワモテ刑事ドイルの愛称ポパイは、現在に至るまで彼の愛称として親しまれている。

その後も『ポセイドン・アドベンチャー』、『スケアクロウ』、『カンバセーション…盗聴…』、『ミシシッピー・バーニング』といった大作・名作に立て続けに出演。主演から脇役まで、また悪役から三枚目まで幅広い役柄をこなす俳優としてアメリカを代表するトップスターに上り詰めた。中でも『スーパーマン』で演じた悪役・レックス・ルーサーは、2006年に公開されたリメイク版の『スーパーマン リターンズ』でケヴィン・スペイシーがハックマンと見まがうほど役に入り込んで演じたことで、話題が再燃した[要出典]。

1990年には心臓発作を起こして引退も考えたが、その後も映画に出演。病を克服して自分でも忘れるほど多くの映画に出演したことでタフガイの名をほしいままにした(しかし2004年のインタビューで俳優業の引退を公言[3])。1992年に出演したクリント・イーストウッド監督の映画『許されざる者』で第65回アカデミー助演男優賞を獲得。2002年にはゴールデン・グローブ賞の功労賞にあたるセシル・B・デミル賞を受賞した。2008年、出版本にサイン中

また、考古学者のDaniel Lenihanと共にこれまで3冊の小説を出版している。また、2010年には単独で小説Payback at Morning Peakを出版した。

『ポセイドン・アドベンチャー』日本公開時に来日しており、淀川長治と対談した(淀川著『映画と共に歩んだわが半世紀』)。

2012年1月13日、自転車に乗っていたところをトラックにはねられる事故に遭うが軽い打撲で済むなど命に別状はなかった[4]

2019年5月18日、国際天文学連合は彼を記念して小惑星番号55397の小惑星に対して「ハックマン (Hackman)」と命名した[5]
私生活

プライベートでは1986年に30年連れ添った最初の妻と離婚。1991年に日系人女性と再婚している。子供は3人。
主な出演作品
映画

公開年邦題
原題役名備考吹き替え
1964年
リリス
Lilithノーマン(吹き替え版なし)
1966年ハワイ
Hawaiiジョン・ウィップル博士岸野一彦TBS版)
1967年体当り決死隊
First to Fightツイード
俺たちに明日はない
Bonnie and Clydeバック・バロウアカデミー助演男優賞 ノミネート大平透NETテレビ版)
福田信昭(WOWOW追加録音版)
1968年汚れた七人
The Splitウォルター・ブリル
戦慄の第四帝国
Shadow on the Landトーマス・デヴィステレビ映画
1969年暴動
Riotレッド
さすらいの大空
The Gypsy Mothsジョー
白銀のレーサー
Downhill Racerユジーン木村幌
宇宙からの脱出
Maroonedバズ・ロイド穂積隆信(NETテレビ版、テレビ朝日版)
光枝明彦東京12ch版)
1970年父の肖像
I Never Sang for My Fatherジーン・ギャリソンアカデミー助演男優賞 ノミネート
1971年さらば荒野
The Hunting Partyブランド
フレンチ・コネクション
The French Connectionジミー・ドイル(英語版)(ポパイ)アカデミー主演男優賞 受賞


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:164 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef