ジンバブエ
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2005年5月には「ムラムバツビナ作戦(英語版)」によって地方の貧しい都市地域および周辺都市地域を標的に大規模な強制退去と住居破壊を行い[10]、さらには2007年3月11日、警察によって活動家ギフト・タンダレ(英語版)が暗殺されている。
2008?現在詳細は「en:Zimbabwean cholera outbreak」、「en:2008?09 Zimbabwean political negotiations」、および「en:Zimbabwean constitutional referendum, 2013」を参照

コレラ流行が2008年8月に始まり、患者総数91,164人、死者総数4,037人に達している。2009年2月初めのピーク時には一週間で新患者数8,008人を超えた。WHO(国連世界保健機関)によると2009年3月14日までの1週間に報告された新患者数は2,076人で先週の3,812人から減少した。致死率も1月の6%弱から2.3%に低下した。発生数は全体として低下したが、首都ハラレとその周辺では増加の傾向にある。

ムガベの後継者争いは2017年11月15日の国防軍による事実上のクーデターを招き、ムガベは大統領の座を追われた[7][6]。「2017年ジンバブエクーデター」も参照

2020年7月、国内で2019新型コロナウイルスが拡大した際には、国民に対してマスクの着用など検疫規則を遵守するよう指示。しかし国民の大半は従わず、市民10万人以上が警察に逮捕された。また、隔離施設に収容された陽性患者276人以上が逃亡するなど無秩序な衛生状態となった[11]

2020年8月、ジンバブエ国家統計庁は、同年7月の物価上昇率が年率840%近くまで上昇したと発表。インフレが再び悪化する兆しが生じた[12]
政治詳細は「ジンバブエの政治」を参照「ジンバブエの政党」および「ジンバブエ議会」も参照第2代大統領ロバート・ムガベ

野党勢力への迫害が強く、野党の政治家、野党支持者への暴行・虐殺・拉致などが常態化しており、激しい対立が続いている。ムガベ大統領による独裁政治体制が長きに渡り続いた。

ローデシア共和国初代首相であったイアン・スミスは、政界復帰を狙っていると伝えられていたが、2007年11月20日に南アフリカ共和国ケープタウンの自宅で心不全により88歳で死去した[要検証ノート]。

2008年3月29日より大統領選挙が始まり、現職の与党ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線のムガベ大統領他、与党から造反したシンバ・マコニ元財務相と最大野党の民主変革運動(MDC)のモーガン・ツァンギライ議長が立候補していたが、ムガベ政権からの弾圧によりツァンギライ議長は出馬の取り止めを余儀なくされた。これにより、ムガベ大統領は欧米からの決選投票延期要請を無視し、投票を強行、勝利したと宣言した。7月11日国際連合安全保障理事会にジンバブエ政府非難と、ムガベ大統領ら政権幹部の資産凍結・渡航禁止などの制裁決議案が提出された。しかし、中国ロシアが内政問題であるとして拒否権を発動し、否決された。賛成9(アメリカフランスイギリスイタリアベルギーパナマクロアチアコスタリカブルキナファソ)、反対5(中、露、南アフリカリビアベトナム)、棄権1(インドネシア)だった。その後もアメリカ国務長官コンドリーザ・ライスは、ムガベ政権の海外資産を凍結するなどの制裁措置をイギリスやアフリカの同盟国と協議する事を明らかにした[13]。2009年2月11日、連立政権が樹立しMDCツァンギライ議長が首相に就任したため独裁体制に区切りがついた形だが、現地の英国大使館が地元紙に「ムガベ大統領が退陣しない限り意味がない」という広告を出すなど、懐疑論も強く残った[14]

ムガベの後継をめぐってグレース・ムガベ夫人と、軍の支持を得るエマーソン・ムナンガグワとの間で争いが勃発した。2017年11月6日にムガベがムナンガグワを第1副大統領から解任したことで国防軍が反旗を翻し事実上のクーデターを企図し、ムガベは自宅軟禁下に置かれ、軍が国家権力を掌握[6]。11月21日に議会でムガベの弾劾手続きが開始され[15]、ムガベは辞表を提出。37年間に及ぶ長期政権に幕が下りた[7]首相職は2013年に廃止された。
国外メディアの報道規制

国内では厳しい報道規制が敷かれ、政府はCNNBBCといった欧米メディアによる取材を禁止している。宗主国であったイギリスに対するジンバブエ国民の悪感情は根強い。またイギリス側のジンバブエ報道も、過度に扇情的であるとの指摘もされている。

日本、ガボンと同じく、取材対象の公的機関が一部の報道機関に対して排他的かつ独占的な便宜を供与(取材場所の提供、取材費用の負担など)する形の記者クラブ制度を有する。
国際関係詳細は「ジンバブエの国際関係(英語版)」を参照

前述の植民地時代の影響で反英感情または反白人感情が強く、CNNBBCの取材を禁じているほか、白人の持つ農地の強引な国有化、白人所有大農場の強制収用などの政策が行われた。ムガベ大統領の思想も影響しており、ムガベは自分を非難したアメリカのライス国務長官を「白人の奴隷」と指摘し、過去のアメリカ合衆国の黒人奴隷制度の批判もしていたため反米感情もある。その一方で、2014年現在でジンバブエが支援を受けている二大主要国はアメリカ合衆国(約178百万ドル)とイギリス(約171百万ドル)という構図となっている[16]

非白人国家である中華人民共和国南アフリカ共和国と友好関係を深めており、両国の影響力が極めて強い[17]。特に中国は大統領になる前からムガベを支援していた関係にあり[18][19][20][21]、ムガベの後継者の座を争ったグレース夫人とムナンガグワはどちらも中国への留学歴を持っている[22][23][24][25]。ムガベは白人社会の欧米諸国やオーストラリアへの入国を禁止されているが、香港シンガポールマレーシアで別荘を購入するなど豪華な生活を堪能している。アメリカ、イギリス、フランスはジンバブエへの経済制裁を求めているが、他の常任理事国の中国、ロシアはジンバブエへの経済制裁は内政問題という理由で拒否権を発動した。
日本との関係「日本とジンバブエの関係」を参照

司馬江漢が、長崎に赴いた時の事を記した「西遊日記(1788年)」にて、「此黒坊と云は…ヤハ〔ジャワ〕嶋の者、或はアフリカ大州の中モノモウタアパと云処の熱国の産れなり」と、出島にオランダ人の召使いとして住んでいた東南アジア人やアフリカ人の記録を残している。この「モノモウタアパ」なる土地は、現在のジンバブエと言われている[26]

在留日本人数 - 85人(2022年10月現在)[27]

在日ジンバブエ人数 - 246人(2022年6月現在)[27]


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