ジル・バイデン
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2004年アメリカ合衆国大統領選挙ジョージ・W・ブッシュアメリカ合衆国大統領に再選された後、ジルは夫に大統領選挙に再挑戦するように促した[19]。彼女は後年に、夫ならイラク戦争など状況が刻々と悪化している世情を変えることができると考えたと述べている[26]

ジルはジョー・バイデンの2008年大統領選挙キャンペーン(英語版)期間中も教師としての務めを続ける傍ら、週末は夫のキャンペーンに参加した[19]。彼女はファーストレディになった後も肥満喫煙の危険性、若い女の子向けの乳がんに関する知識向上と乳房自己検診の重要性など健康上の問題も含めた教育が活動の中心になると述べた[27]。また、基本的に政治に無関心なので、閣議への参加を求めるつもりはないことも述べている[19]

バイデンが2008年アメリカ合衆国大統領選挙に民主党の大統領候補として出馬するバラク・オバマのランニングメートとなった後、ジルはキャンペーンを再開した。彼女は義理の息子のボー・バイデンのイラクへの従軍にかんがみ、「ブルースターズ・クラブ(英語版)」のピンバッジを身に着けていた[18]。洗練された政治の話はできなかったが、観衆とのつながりや感情的な共鳴によって支持を獲得することに成功した[28]ミシェル・オバマとの共演も何度か果たした[29]。夫がアメリカ合衆国副大統領候補として名乗りを上げた後、2008年秋学期もデラウェア工科短期大学で平日は授業を行い、週末に夫と合流してキャンペーンに参加した[14][18]
アメリカ合衆国のセカンドレディとして
第一期2009年3月。公式ポートレート2009年1月20日。バラク・オバマの第一期大統領就任式後の祝賀パーティーでダンスを披露するバイデン夫妻

ジルはアメリカ合衆国のセカンドレディとしてアメリカ海軍天文台敷地内のオブザーバトリー・サークル1番地ワシントンD.C.に位置する副大統領公邸)に移住したが、彼女はワシントン地区のコミュニティ・カレッジでも教職を続けることを意図し、そのうちの数か所は彼女を採用した[30][31][32]。2009年1月にアメリカで2番目に大きいコミュニティ・カレッジであるバージニア州北部コミュニティ・カレッジ(英語版)(NOVA)のアレクサンドリア・キャンパスで非常勤教授として英語2コースを教え始めた[24][33]。ジルはコミュニティ・カレッジの公共の擁護者としての役割を担い、関連した教育政策についてオバマ政権に提言することを予定した[33]。現職副大統領の配偶者であるセカンドレディが仕事をすることは稀であり[29][31]、ジルはセカンドレディになった後もそれ以前からの有給の仕事を続ける初のセカンドレディではないかと考えられている[24]ホワイトハウスの公式ホームページなどでは彼女は本人の好みにより、「Dr. Jill Biden(ジル・バイデン博士)」と呼ばれている[24][34]

セカンドレディの役割を担うジルの専属スタッフチームのメンバーには連邦上院外交委員会の元顧問であるキャサリン・ラッセルがまず首席補佐官に選ばれた[35]ハワード・ディーンとエリザベス・エドワーズ(英語版)の元スポークスパーソンであるコートニー・オドネルがコミュニケーションズ・ディレクター(英語版)に任命され[36]法律事務所「モルガン・ルイス・アンド・バッキアス(英語版)」の弁護士を務めるキルスティン・ホワイトが政策ディレクターに任命された[37]。セカンドレディとしてジルは合わせて8人の専属スタッフを抱えており、そのオフィスアイゼンハワー行政府ビルの一角を占めている[34]

ジルはバラク・オバマの第一期大統領就任式直前に『オプラ・ウィンフリー・ショー』に出演してバラク・オバマがアメリカ合衆国国務長官になるかアメリカ合衆国副大統領になるかを選択する権利を夫に与えたという爆弾発言をしたため[38][39]、バイデンのスポークスパーソンは副大統領職しか打診されていないとして、これを否定する声明を発表している[39][40]

2009年6月にニューヨークブルックリン区にあるキングスボロー・コミュニティ・カレッジ(英語版)(KBCC)で卒業式のスピーチ(英語版)を行った[41]。2009年秋もNOVAで英語のリーディング&ライティング2コースの授業を続けた[42]。2010年1月にはデラウェア州の冬に卒業式がある主要な大学で卒業式のスピーチを行った[43]。2010年8月にはアメリカ軍人とその家族への関心を高めることを目的として「ライフタイム(英語版)」のテレビドラマシリーズ『アーミー・ワイフ』に自分自身の役で出演した[44]

ミシェル・オバマのファーストレディとして初の単独外遊となった2010年4月のメキシコ訪問の旅にジルも同行した。二人は途中で予告なしにハイチに立ち寄り、同年に発生したハイチ地震による被災状況などを視察した[45][46]。2011年4月にジルとミシェルはアメリカ軍人とその家族にスポットライトを当て、その支援体制を強化することを目的とした国家主導の構想「ジョイニング・フォーシズ」を起動させた[47][48]。2011年9月に1300万人に影響を与えるアフリカの角における飢饉戦争干ばつによる危機的状況への人々の意識を向上させることを目的としたアメリカ合衆国国際開発庁(USAID)の国民啓発キャンペーンに参加した[49]


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