乳がんと診断された4人の友人を持つジルは1993年にデラウェア州内の学校などに乳房の健康意識を向上させるためのプログラムを無償で提供する非営利団体「バイデン乳房健康イニシアチブ」を創設している[21]。組織は20年あまりで1万人以上の女子高生に乳がんの早期発見の重要性を強調する指導を行った[22]。2007年に低所得層の子どもたちに本を提供する「ブック・ベイビーズ」のプログラムに対する支援を行い[22]、アメリカ軍関係者とその家族を支援する「デラウェアブーツ・オン・ザ・グラウンド」でも非常に精力的に活動している[23]。週に5回、5マイル(約8km)の距離を走り、海兵隊マラソン(英語版)にも参加している[12]。
2007年1月、55歳の時にデラウェア大学で教育リーダーシップ(英語版)の教育学博士を取得した[3][22][24]。彼女の学位論文『Student retention at the community college: Meeting students' needs』のコピーはオンライン上での購入が可能である[25]。
2008年大統領選挙に向けて2008年8月23日。左からバラク・オバマ、ミシェル夫人とジョー・バイデン、ジル夫人(イリノイ州スプリングフィールドにて副大統領候補発表時)
2004年アメリカ合衆国大統領選挙でジョージ・W・ブッシュがアメリカ合衆国大統領に再選された後、ジルは夫に大統領選挙に再挑戦するように促した[19]。彼女は後年に、夫ならイラク戦争など状況が刻々と悪化している世情を変えることができると考えたと述べている[26]。
ジルはジョー・バイデンの2008年大統領選挙キャンペーン(英語版)期間中も教師としての務めを続ける傍ら、週末は夫のキャンペーンに参加した[19]。彼女はファーストレディになった後も肥満や喫煙の危険性、若い女の子向けの乳がんに関する知識向上と乳房自己検診の重要性など健康上の問題も含めた教育が活動の中心になると述べた[27]。また、基本的に政治に無関心なので、閣議への参加を求めるつもりはないことも述べている[19]。
バイデンが2008年アメリカ合衆国大統領選挙に民主党の大統領候補として出馬するバラク・オバマのランニングメートとなった後、ジルはキャンペーンを再開した。彼女は義理の息子のボー・バイデンのイラクへの従軍にかんがみ、「ブルースターズ・クラブ(英語版)」のピンバッジを身に着けていた[18]。洗練された政治の話はできなかったが、観衆とのつながりや感情的な共鳴によって支持を獲得することに成功した[28]。ミシェル・オバマとの共演も何度か果たした[29]。夫がアメリカ合衆国副大統領候補として名乗りを上げた後、2008年秋学期もデラウェア工科短期大学で平日は授業を行い、週末に夫と合流してキャンペーンに参加した[14][18]。
アメリカ合衆国のセカンドレディとして
第一期2009年3月。公式ポートレート2009年1月20日。バラク・オバマの第一期大統領就任式後の祝賀パーティーでダンスを披露するバイデン夫妻
ジルはアメリカ合衆国のセカンドレディとしてアメリカ海軍天文台敷地内のオブザーバトリー・サークル1番地(ワシントンD.C.に位置する副大統領公邸)に移住したが、彼女はワシントン地区のコミュニティ・カレッジでも教職を続けることを意図し、そのうちの数か所は彼女を採用した[30][31][32]。2009年1月にアメリカで2番目に大きいコミュニティ・カレッジであるバージニア州北部コミュニティ・カレッジ(英語版)(NOVA)のアレクサンドリア・キャンパスで非常勤教授として英語2コースを教え始めた[24][33]。ジルはコミュニティ・カレッジの公共の擁護者としての役割を担い、関連した教育政策についてオバマ政権に提言することを予定した[33]。現職副大統領の配偶者であるセカンドレディが仕事をすることは稀であり[29][31]、ジルはセカンドレディになった後もそれ以前からの有給の仕事を続ける初のセカンドレディではないかと考えられている[24]。ホワイトハウスの公式ホームページなどでは彼女は本人の好みにより、「Dr. Jill Biden(ジル・バイデン博士)」と呼ばれている[24][34]。
セカンドレディの役割を担うジルの専属スタッフチームのメンバーには連邦上院外交委員会の元顧問であるキャサリン・ラッセルがまず首席補佐官に選ばれた[35]。ハワード・ディーンとエリザベス・エドワーズ(英語版)の元スポークスパーソンであるコートニー・オドネルがコミュニケーションズ・ディレクター(英語版)に任命され[36]、法律事務所「モルガン・ルイス・アンド・バッキアス(英語版)」の弁護士を務めるキルスティン・ホワイトが政策ディレクターに任命された[37]。セカンドレディとしてジルは合わせて8人の専属スタッフを抱えており、そのオフィスはアイゼンハワー行政府ビルの一角を占めている[34]。
ジルはバラク・オバマの第一期大統領就任式直前に『オプラ・ウィンフリー・ショー』に出演してバラク・オバマがアメリカ合衆国国務長官になるかアメリカ合衆国副大統領になるかを選択する権利を夫に与えたという爆弾発言をしたため[38][39]、バイデンのスポークスパーソンは副大統領職しか打診されていないとして、これを否定する声明を発表している[39][40]。