ジル・バイデン
Jill Biden
アメリカ合衆国のファーストレディ
任期2021年1月20日 -
元首ジョー・バイデン
先代メラニア・トランプ
アメリカ合衆国のセカンドレディ
任期2009年1月20日 - 2017年1月20日
先代リン・チェイニー
次代カレン・ペンス
個人情報
生年月日 (1951-06-03) 1951年6月3日(73歳)
出生地ニュージャージー州ハモントン
ジル・トレイシー・ジェイコブス・バイデン(英語: Jill Tracy Jacobs Biden , 1951年6月3日 - )は、アメリカ合衆国の教育学者。第47代アメリカ合衆国副大統領・第46代アメリカ合衆国大統領ジョー・バイデンの2番目の妻でもある。2009年1月20日から2017年1月20日までアメリカ合衆国のセカンドレディの役割を担った。2021年1月20日より、アメリカ合衆国のファーストレディである。
生い立ち(英語版)にて出生した(2009年の『ワシントン・ポスト』[1]などに記載されている誕生日6月5日は間違いである)[2][3]。その後に一家は移住し、ジルと彼女の4人の妹はペンシルバニア州ウィローグローブ(英語版)で子ども時代の大半を過ごした[4]。父親のドナルド・カール・ジェイコブス(1927?1999)[5]は銀行の出納係(英語版)を務め、貯蓄貸付組合の頭取に昇進した[6]。シチリア出身者を祖先に持つジルの家系の姓は元々はジャコッポであったが、途中からイギリス化をしてジェイコブスに改称した[7]。母親のボニー・ジーン・ジェイコブス(1930?2008)[5]は主婦であった[6][8]。
キャリアを求めて15歳の時にアルバイトを始めた[6]。1969年にアッパーモアランド高校(英語版)を卒業した[3]。
結婚と仕事若かりしころのバイデン夫妻1980年4月。バチカン市国でローマ教皇ヨハネ・パウロ2世と会見するバイデン夫妻
ペンシルベニア州の短期大学に入学したジルはファッションのマーチャンダイジングについての勉強を始めたが、満足のいくものではないことに気付き、すぐに中退した[9]。1970年2月にビル・スティーブンソンと結婚[10]。一緒にデラウェア大学に通うことを決め、英語を専攻した[9]。
それから数年してスティーブンソンはデラウェア州ニューアークのデラウェア大学近くに「ストーン・バルーン」をオープンした[10]。このバーは最も商業的に成功を収めた大学のバーの一つとなった[10]。十分なお金を稼ぐために地元の代理店のモデルを務めたりしたが、スティーブンソンとは次第に疎遠になっていった[9]。
その後にジルは大学に戻った。1975年3月に連邦上院議員ジョー・バイデンが広告に掲載されたジルの写真を見て一目惚れし、ジョーの弟のフランクは兄のために二人のブラインドデート(初対面相手とのデート)を設定した[6]。ジルは同年に文学士号を取得してデラウェア大学を卒業し[11]、高校の英語教師の道を歩み始めた[6][12]。その一方で、彼女はスティーブンソンとの大荒れの離婚訴訟を経験していた[9]。裁判では彼女が望んでいた「ストーン・バルーン」の利益の半分の分け前を受け取れていなかったとする判断が下され、1976年に終了した[9]。
1977年6月17日にバイデンとジルはニューヨークにある国際連合礼拝堂で結婚式をあげた[3][12][13]。バイデンの最初の妻と乳児の娘が自動車事故で死亡してから4年半の歳月が経過していた[3]。ジルは事故を生き延びたバイデンの幼い2人の息子であるボーとハンターの継母となることに躊躇し、バイデンが5度結婚を申し込んだ末にこれを受け入れた[14]。
妊娠中も高校教師を続け、1981年にウェストチェスター大学(英語版)(読解分野)の教育学修士を取得した[15]。