ジョー・イエロー
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1983年、リッキーニは、ジョー・イエローという名義を使い、セヴェロ・ロンバルドーニ(英語版)の協力や、トゥラッティ=キエレガート (Turatti-Chieregato) のデュオの共演を得て、決定的な成功を収めることになったシングル「Lover to Lover」を制作し[1]、この曲は様々なダンス・チャートを上昇して、イタリア国内のみならず、諸外国、特に北ヨーロッパにおいて、ラジオで何度となく放送された。

以降の3年間、当時のダンス音楽シーンでヒット曲を出し続け、特に1984年の「Take My Heart」、1986年の「I'm Your Lover」と「Love At First」は、デン・ハロウ(イタリア語版)、サブリナ・サレルノ(イタリア語版)、バレリー・ドア(イタリア語版)などの歌手たちが活躍したイタロ・ディスコの代表曲となった。

1984年には、Rai 1 の番組『Discoring』に出演した。

その後も1980年代から1990年代初めにかけて、活動は続けられたが、音楽ジャンルの嗜好の変化から、徐々にシーンから退いていくことになったが、そうした中でもバンダナという名義で新曲を数曲発表していた。

2015年、リッキーニは、ヘロインを2包所持していたとして、逮捕された[2]

2018年には日本の音楽グループのDA PUMPが「U.S.A」をカバーし大ヒットとなった。
おもなディスコグラフィ
アルバム

1988 - I'm your lover

シングル

1983年 - Lover To Lover

1984年 - Take My Heart

1985年 - Recollection

1985年 - Love At First

1986年 - I'm Your Lover

1988年 - Easy Lovers

1988年 - Runner

1989年 - Wild Boy

1989年 - Synchronization Of Love

1991年 - Last Call

1992年 -
U.S.A.

1996年 - Lover To Lover RMX '96

脚注[脚注の使い方]^ “Joe Yellow su Dance directory”. 2010年12月14日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2019年1月19日閲覧。
^Joe Yellow, fermata per spaccio di stupefacenti la star dell'Italo Disco negli anni ottanta

外部リンク

ジョー・イエロー
- Discogs

典拠管理データベース: 芸術家

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