主人公ブロディ役には当初ロバート・デュヴァルがオファーされたが、彼はクイント役にしか興味を示さなかった[38]。チャールトン・ヘストンはブロディ役に興味を示したが、スピルバーグはヘストンだと威厳がありすぎると感じ[39]、最終的にロイ・シャイダーに決まった。シャイダーになった経緯についてスピルバーグは後年、友人宅のパーティで「ソファーへ座りコカ・コーラ片手に」難航するキャスティングで頭を悩ませていたところ、特別面識は無かったシャイダーに声をかけられその悩みを明かしたところ、シャイダーが「自分では駄目か?」と聞いてきたといい、オファーをすると台本も見ずにその場でOKを出してくれた、と語っている[32]。メイキングドキュメンタリーによれば、パーティでスピルバーグが脚本家とサメがボートに飛び乗るシーンの話をしているのを聞いたシャイダーが本作に興味を持ったのがきっかけだったという[24]。こうしてブロディ役にはシャイダーが採用された一方、当初のスピルバーグは彼が『フレンチ・コネクション』で演じたような「タフガイ」となることを懸念していた[38]。
制作開始9日前の時点では、クイントもフーパーもキャスティングはされていなかった[40]。
クイント役については、リー・マーヴィンとスターリング・ヘイドンにオファーが出されていたものの共に断られてしまう[24][38]。ザナックとブラウンは、この頃『スティング』においてロバート・ショウとの仕事を終えたばかりで、彼をスピルバーグに提案した[41]。ショウ自身は当初、脚本に難色を示しオファーを受けることに消極的であったが、妻で女優のメアリー・ユーア(英語版)と秘書の両方に促されたことで引き受けることにした。彼は「2人があんなに熱心だったのは『ロシアより愛をこめて』以来だったよ。そして彼女たちは正しかった」と回顧している[42]。またショウは役作りとして、地元の漁師ベン・ガードナーを演じ、ヴィニヤードの漁師かつ農園主で風変わりな人物であったクレイグ・キングスベリーを参考にした[43]。スピルバーグもまたキングスベリーを「私の頭の中にあるクイントの純粋な姿」と評し、彼の発言のいくつかが、ガードナーとクイントのセリフとして脚本に組み込まれることとなった[44]。海上でのクイントの台詞や拘りの一部は、ヴィニヤードの整備士でボート所有者でもあったリン・マーフィーの発言が用いられていた[45][46]。
フーパー役に、当初スピルバーグはジョン・ヴォイトを望んでおり[41]、ティモシー・ボトムズ、ジョエル・グレイ、ジェフ・ブリッジスも候補に挙がっていた[47]。そんな中で、スピルバーグの友人であるジョージ・ルーカスは、彼が監督した『アメリカン・グラフィティ』に主演したリチャード・ドレイファスを勧めた[24]。当初、ドレイファスは役を受けるつもりはなかったが、出演したばかりの『グラヴィッツおやじの年季奉公(英語版)』の公開前試写会を観て考えを改めるに至った。ドレイファスはこの映画の出来に失望、このままでは誰も自分を雇わなくなることを恐れ、慌ててスピルバーグに電話しオファーを受ける旨を伝えた[48]。この時点でスピルバーグが思い描いていた映画の内容は原作と大きく異なるために、彼はドレイファスに原作を読まないことをお願いした。こうしてフーパー役の決定と共に、脚本はドレイファスの人物像に合わせる形でリライトされ[40]、ドレイファスを「自分の分身」と捉えたスピルバーグの考えが反映されるような形となった[47]。
撮影私たちは脚本なし、キャストなし、サメなしで映画を始めた。リチャード・ドレイファス[49]
1974年5月2日[50]、マサチューセッツ州マーサズ・ヴィニヤード島で撮影が開始された。後にブラウンは「サメの出現が観光ビジネスを破壊してしまうような低中流階級向けの保養地が必要だった」と説明している[51]。