ジョーズ
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放送時のプロデューサーによる「羽佐間さんのロイ・シャイダーが聴いてみたい」との思いを機に製作された[9]。
ソフト版: 2005年8月26日発売のDVD「ジョーズ 30th アニバーサリースペシャル・エディション」に初収録。
演出を担当した高橋剛は本作の大ファンであり、前述のテレビ東京版で別の人間が演出したことについて後日プロデューサーに「『ジョーズ』を新録するのは長年の夢だった。なぜ自分にやらせない?自分が演出すべきだったんだ!」とすごい剣幕で詰め寄ったエピソードが残されている。この時に「悪いことした」と思ったプロデューサーが「代わりに何かやりたいのあるか」と尋ねたところ高橋が『タワーリング・インフェルノ』をいつかやってみたいと返答し、2013年に高橋演出での新録が実現することとなった[10]。
スタッフ
製作: デイヴィッド・ブラウン、リチャード・D・ザナック
監督: スティーヴン・スピルバーグ
原作: ピーター・ベンチリー
脚色: ピーター・ベンチリー、カール・ゴッドリーブ(英語版)
撮影: ビル・バトラー
美術: ジョセフ・アルヴズ(英語版)
編集: ヴァーナ・フィールズ
音楽: ジョン・ウィリアムズ
ポスターデザイン: ロジャー・カステル(英語版)
提供: ユニバーサル・ピクチャーズ、ザナック=ブラウン・プロダクションズ(英語版)
日本語版
劇場公開版字幕: 高瀬鎮夫
ソフト版字幕: 飯嶋永昭
-日本テレビ版TBS版テレビ東京版ソフト版
演出中野寛次福永莞爾小林守夫高橋剛
翻訳飯嶋永昭木原たけし小寺陽子伊原奈津子
調整前田仁信金谷和美阿部直子山本洋平
効果PAGリレーションN/A
担当河村常平
春田由佳三澤綾子
横山きむ
配給日本MCAムービーテレビジョン
プロデューサー上田正人久保一郎
渡邉一仁
寺原洋平
制作東北新社
日本テレビ東北新社
TBS東北新社
テレビ東京ACクリエイト
製作
企画ユニバーサル・ピクチャーズのプロデューサーであったリチャード・D・ザナックとデイヴィッド・ブラウンは、ブラウンの妻ヘレン・ガーリー・ブラウン
(英語版)が編集長を務めていた雑誌『COSMOPOLITAN』で、まだ出版前であったピーター・ベンチリーの小説『ジョーズ』のことを偶然にも知った。そこには詳細なプロットが書かれ、最後は担当者による「良い映画になるかもしれない」というコメントで締めくくられていた[11][12]。2人は一晩かけてこの本を読み、翌朝には「今まで読んだ本の中で最も刺激的なもの」として、構想未定のまま、とにかく映画化したいという考えに至ったため、出版前年の1973年に約17万5000ドル[注釈 2]で映画化権を購入した[13][14]。ブラウンは後に「もし自分たちが(本をこの時)2回読んでいたら、特定のシークエンスの映像化の難しさを理解し、映画化はしなかっただろう」と語っている[15]。
ザナックとブラウンは当初、『老人と海』(1958年)など海洋冒険映画を手掛けたベテランのジョン・スタージェスに監督を依頼することを検討していたが、結局、前年に『男の出発』で監督デビューしたばかりのディック・リチャーズに正式にオファーを出した[16]。だが、リチャーズがサメをクジラと呼ぶ癖にザナックとブラウンは苛立ち、すぐ降板させてしまう[16]。一方、このプロジェクトに非常に興味を持っていたのがスティーヴン・スピルバーグであった。当時26歳のスピルバーグは、ザナックとブラウンがプロデュースした『続・激突!/カージャック』で初の劇場映画の監督を務めたばかりであり、会議の終わりに原作小説のコピーを見つけ読んだことで、その虜になっていた[14]。リチャーズの離脱後である1973年6月、プロデューサー達はスピルバーグに監督を任せることを正式に契約した[16]。
だが、実際に製作開始前になると、スピルバーグは「トラックとサメの監督」というイメージを持たれることを恐れ『ジョーズ』に消極的になっていた[17]。スピルバーグは、20世紀フォックスが進めていた『ラッキー・レディ』への移籍を希望したが、ユニバーサルは契約に基づいて拒否権を行使[18]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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