ジョージ2世
George II
グレートブリテン国王
ハノーファー選帝侯
トマス・ハドソンによる肖像画、1744年作。
在位1727年6月22日 - 1760年10月25日
戴冠式1727年10月22日
別号アイルランド国王
全名英: George Augustus
ジョージ・オーガスタス
独: Georg August
ゲオルク・アウグスト
出生1683年11月9日
神聖ローマ帝国
カレンベルク侯領、ハノーファー、ヘレンホイザー宮殿[1]またはライネ宮殿
ジョージ2世(英語: George II, 1683年11月9日 - 1760年10月25日)は、ハノーヴァー朝第2代グレートブリテンおよびアイルランド国王、ハノーファー選帝侯(在位:1727年 - 1760年)。選帝侯としてはゲオルク2世アウグスト(ドイツ語: Georg II. August)。ジョージ1世と妃でリューネブルク侯ゲオルク・ヴィルヘルムの娘ゾフィー・ドロテアの息子。ジェームズ1世の玄孫、スコットランド女王メアリーの来孫、スコットランド王ジェームズ5世の昆孫、ヘンリー7世の雲孫であり、ヴィクトリア女王は玄孫、エドワード7世は来孫、ジョージ5世は昆孫、ジョージ6世は仍孫、エリザベス2世は雲孫である。
ジョージ2世は北ドイツ(英語版)で生まれ、外国で生まれたイギリスの君主としては最後となった。1701年王位継承法と1707年合同法でイギリス王位継承権がプロテスタントに限定されたため、継承順位が50位以下だった祖母のゾフィー・フォン・デア・プファルツは一気に継承順位2位まで上がった。1714年にゾフィーとアン女王が相次いで崩御すると、父のハノーファー選帝侯ゲオルク1世ルートヴィヒはイギリス王位を継承した(ジョージ1世)。父の治世初期は反対派の政治家に味方し、1720年に反対派が与党と和解するまで続いた。
1727年に即位した後、イギリスの内政はグレートブリテン議会(英語版)が司り、ジョージ2世が干渉することは少なかった。選帝侯としてはハノーファーで12回の夏を過ごし、そこでは政府の施策を直接指示した。長男のフレデリック・ルイスとは仲が悪く、フレデリックは議会で野党を支持した。オーストリア継承戦争中の1743年にデッティンゲンの戦いに参加、戦闘に参加したイギリス国王としては最後となった。