ジョージ・W・ブッシュ
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大統領退任後には韓国に訪問した[注釈 5]
北朝鮮
大統領就任前のブッシュは北朝鮮問題に関心も知識も乏しかった。2000年6月の大統領候補時代に、友人であるサウジアラビアバンダル・ビン・スルターン王子と会談した際、「なぜ自分が北朝鮮のことを心配しなければならないのか?」とこぼして、王子に「北朝鮮の国境付近には3万8,000人のアメリカ兵が駐留しているため、北朝鮮が国境を越えて侵攻すればおそらく1万5000人が戦死して、合衆国は途端に戦争へ突入するからです」と諭されている[88]。就任後はクリントン政権の宥和策に反対してきた共和党の姿勢に沿って、「悪の枢軸」として批判を行うなど強硬姿勢を取っている。日本人拉致問題についても、2006年にアメリカを訪問した横田夫妻ら被害者家族との面会時に断固たる姿勢で望む事を表明していた。しかし、北朝鮮の核実験実施や他の外交政策の不振から、「核施設の無能力化を進めれば、拉致問題の進展とは関係なく、テロ支援国家指定を解除する」との立場を北朝鮮に伝えていたことが明らかになっている[89]。北朝鮮の友好国である中華人民共和国はイラク戦争開戦による衝撃から仲介に乗り出して六カ国協議が始まり[90]、核兵器の放棄が合意された。2007年2月13日の六カ国協議での合意に基づき、2008年6月の北朝鮮の寧辺核施設の爆破パフォーマンスや核開発計画申告などを受けて指定解除の手続きを開始、拉致問題については引き続き解決への協力姿勢を表明しているものの、被害者家族からは先の面会時からの豹変振りに「裏切られた」と失望の声が挙がっていた。だが、土壇場の8月11日に「しっかりとした(核施設の)検証体制を示さない」ことを理由に北朝鮮のテロ支援国家指定解除の発令に対する署名を拒否した。そもそも6月26日の指定解除手続きに関する発表[91]では、同時に北朝鮮および北朝鮮の国民に関する確定的な(移動)制限を継続することについての大統領令(Executive Order:Continuing Certain Restrictions with Respect to North Korea and North Korean Nationals)[92]も発表しており、この時点で北朝鮮による手続きが履行されても不履行であっても、対北朝鮮制裁を解除する意志がなかったことが、この大統領令の存在から明らかになっている。オバマ政権に交代後の2009年4月に北朝鮮は核兵器開発の再開と六カ国協議からの離脱を表明することとなった。2005年には脱北者姜哲煥をホワイトハウスに招待している。
チベット
ダライ・ラマ14世をホワイトハウスに招待するほど親密であり、ダライ・ラマ14世がアメリカ議会から議会名誉黄金勲章を授与された時に子ブッシュも授章式に同席した。アメリカ議会からのダライ・ラマ14世への黄金勲章授与に対して、米中関係に悪影響を及ぼすとして中国共産党は強く反発した。ダライラマは、いくつかの政策は「大失敗」だったが、一個人としては好きだと語った。ジョージ・W・ブッシュを強く批判するベネズエラの大統領ウゴ・チャベスが親中共派で、他国干渉とダライ・ラマへの弾圧を進める中華人民共和国を全く批判しないのに対し、ジョージ・W・ブッシュは中華人民共和国から反発を受けながらもダライ・ラマと友好を深めていた。
ベトナム
グエン・ミン・チェット国家主席とジョージ・W・ブッシュの握手イラク戦争が末期に入った2006年11月17日ベトナム国家主席グエン・ミン・チェットとアメリカの大統領であるブッシュがハノイで会談し、ベトナムとアメリカの友好関係を誇示した。これは、冷戦後の「米越同盟」の強化と、後に「VISTA」の一角と呼ばれるようになったベトナムの経済成長を布告するものになった。
フィリピン
2008年にフィリピンに対して食料価格高騰や台風6号の被害に苦しむ同国民を助けるため、アメリカ海軍の原子力空母ロナルド・レーガンを被災地に派遣して食料支援を行った。ジョージ・W・ブッシュは会談後、台風の犠牲者らに弔意を表明。フィリピンの大統領グロリア・アロヨモロ・イスラム解放戦線(MILF)やイスラーム過激派アブ・サヤフなどの反政府勢力に対し、対話と圧力による硬軟両様のテロ対策を進め、効果を上げていると評価した[93]。またフィリピンはイラク戦争に仏独中露が反対する中で数少なく支持した国である。
メキシコ
隣国で強い経済関係を持つメキシコに対しては強い親近感を示し、これまでの歴代大統領は就任後初の訪問国としてカナダを訪れていたが、子ブッシュは就任後初の訪問国としてメキシコを訪れている。なお、この様なメキシコに対する親近感には、テキサス州知事選挙をはじめとする過去の選挙戦において、テキサス州で多くの票を持つメキシコ系アメリカ人からの支持を受けていたことが強く影響していると言われている。
中南米
アフガン侵攻・イラク戦争以来ベネズエラの大統領ウゴ・チャベスとの険悪な関係で知られており、2002年にはアメリカ政府の関与が指摘されるクーデターが発生している。国際連合総会でチャベスはブッシュを『悪魔』と呼び、『ブッシュは大量殺人犯 残る一生を牢獄で過ごすべきだ』などと激しく非難されている。ブッシュはボリビアの大統領エボ・モラレス麻薬の利用を非難したが、逆に「私の知る唯一のテロリストはブッシュだ」と反論されモラレスも一歩も退かない[注釈 6]キューバではアフガン侵攻やイラク戦争以来、『ブッシュはヒトラーに並ぶ殺人犯』という皮肉ったプロパガンダが掲げられていた時期があった。
ロシア連邦
ロシアの大統領プーチン(左)とロシアのプーチン政権とは1999年8月にロシア高層アパート連続爆破事件により発生したチェチェン問題もあり、当初は距離を取っていたが、9.11テロを契機にして協調関係に移行。
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