ジョージ・W・ブッシュ
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情報機関による令状なき通信盗聴の容認[注釈 3]

国際刑事裁判所の拒否

“脱石油依存対策”の為のバイオエネルギー導入やシェールガス開発のための水圧破砕法への支援

「州児童医療保険事業(SCHIP)」延長法案への反対

地球温暖化

ブッシュ政権は地球温暖化問題への取り組み(温室効果ガスの排出削減対策)に消極的だと言われる。科学誌ネイチャーによると、ハリケーン被害が増大している一因は温暖化であるとする内容の報告書を米国海洋大気局が発表しようとした際、ブッシュ政権からの圧力によって阻止されてしまったという[72]。また2005年には、京都議定書を離脱している。
外交イラク駐留が長期化するにしたがい、低下に歯止めがかからなくなった支持率(ギャラップ/『USAトゥディ』による世論調査、青:支持する、赤:支持しない、緑:どちらでもない)「盟友」のブレア首相とホワイトハウスにて「友人」の小泉純一郎と(2006年6月29日
イラク戦争
ブッシュ政権はイラク国際原子力機関 (IAEA) の査察に全面的に協力しないこと、生物兵器化学兵器も含め大量破壊兵器を隠し持っていることなどを強く主張し続けた(イラク武装解除問題)。先制攻撃も辞さないこと、軍事行動を肯定する国際連合安全保障理事会による決議は「望ましいけれども必要ではない」ことなどを主張し、2003年3月17日(アメリカ現地時間)国際法に則り「48時間以内にサッダーム・フセインとその息子がイラクを去らなければ軍事行動を行う」という最後通告を行ったが、フセインは黙殺した。しかし、開戦の根拠とされた大量破壊兵器はその後発見されずイラク戦争の正当性が根底から揺らぐ事態になった。後に、まったくの事実無根であることが判明し「私の政権の期間中、最も遺憾だったのが、イラクの大量破壊兵器に関する情報活動の失敗だった」と釈明することとなった。ブッシュ政権はその後、開戦の理由を「イラクのフセイン政権がアルカーイダを始めテロリストを支援している」と説明し、「同時多発テロの実行犯モハメド・アタとイラクの諜報部員が接触していた」と主張したが、独立調査委員会は「会合の存在自体が無かった」とする見解を示している。イギリスの歴史家のポール・ケネディは読売新聞紙上に載せたコラムで、第二次世界大戦の二人の指導者、フランクリン・ルーズベルトが小児マヒでありながら国外の戦略会議に3回出席したことやポツダム宣言で果たした役割、さらにウィンストン・チャーチルが主要な戦場に何回も足を運んだことを指摘し、一方のブッシュが開戦から5年の間にイラクに訪問したのはいずれも数時間足らずで合計するとイラクに居たのは一日にも満たないと両者を対比しながら述べている。またブッシュは石油の利権を手に入れた事でそのあがり[73]となる、ブッシュ大統領の要請から17億ドル減額したものの186億ドル(約2兆460億円)のイラク復興支援の予算案を議会は可決した[74]。ブッシュは「イラク撤退はベトナムの二の舞いになる。アメリカ軍撤退はアメリカの信頼性を傷つけ、テロリストを勢いづかせる」と主張した[注釈 4][75]。しかし復興支援を出しても絶えない宗派対立で、毎日60人近くの死者が出るような自爆テロと、それをアメリカ軍とイラク軍が発砲し、イラク戦争の死者は10万人まで増加してしまい、結局イラク国民の間に根深いアメリカへの敵対感情を残し、靴投げ事件の際には、犯人の男に対する同情や駐留アメリカ軍に対する抗議の声が民衆から聞かれた。ブッシュがフセインを打倒した事により、これまでフセイン政権に怯えていたシーア派スンナ派とクルド人が石油の利権また政権争いのために対立が激化してしまい、皮肉にもフセインの恐怖政治が宗派・民族対立を押さえ込んでいたことが明白になった。トルコアブドゥラー・ギュル首相はイラク戦争は泥沼化すると予想しており、イラクを『パンドラの箱』と揶揄していた。ブッシュ退任後は都市部から撤退した米軍の復帰を求める声すら聞かれている[76]。イラク侵攻でブッシュの支持率は低下したと言われているものの、クリントン政権時代でもイラクを敵視し空爆をしており、結局フセインはブッシュだけでなくクリントンからも敵視されていた。ブッシュは石油の利権を狙うためにイラクへ侵略したと酷評されているが、伝記映画『ブッシュ』でも、ブッシュが石油の利権を狙う様子が描かれており、父ブッシュが打倒出来なかったフセインに石油の利権を持たれている事が痛恨であるように描かれている。「イラク戦争」も参照
日本
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拉致された横田めぐみの家族と脱北者の少女と会見するブッシュ2002年に来日したことがある[77]。小泉純一郎の首相在任中には個人的な繋がりをアピールし、「ジョージ」、「純一郎」と呼び合うほどの仲であった。2006年6月に小泉がアメリカを訪問した際には、ワシントンD.C.から小泉がファンであるエルヴィス・プレスリーの自宅兼博物館のあるメンフィスまでエアフォースワンで同乗し、プレスリーの自宅を自分の妻とプレスリーの元妻とその娘との4人で案内するなどした。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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